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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

8月29日付しんぶん赤旗「詩壇」 柴田三吉「希望が降り立つ場所」

8月29日付しんぶん赤旗「詩壇」 
希望が降り立つ場所         
                                                       柴田三吉(詩人) 

 震災から5カ月、宮城の被災地を歩いた。がれきの撤去はほぼ終わり、それらがあちこちで巨大な山となっていた。倒壊を免れた建物も内部は完全に破壊されており、ビルの4階まで達したという津波に恐怖を覚える。
 仙台で京都の詩友と会う。彼は職場から参加したボランティア活動を終えたあと、いくつかの被災地を歩いてきたのだった。見たもの聞いたもの、触れたものを語り合う。それはまだ意味をはらむ前の言葉、これから意味にたどり着こうとする言葉だった。
 留守のあいだに送られてきた詩誌を開く。最近は「後記」に、震災・原発事故と、表現の関わりを書いたものが多く、注意して読み通した。
 〈震災を素材にした詩作品をさまざまな詩誌等で目にすることになったが、それらの詩は、作品の体を成していても、なぜか隔靴掻痒(かっかそうよう)の印象を免れなかった。(略)筆者は現在のところ、震災を題材に詩を書こうとは思わない。書こうとしても言葉が出てこないからである。震災の惨状を見て心を痛めたが、筆者は自分の言葉に無力感を覚え、距離感を掴めずにいる。(略)想像上の絶望を書いても仕方がないと思った〉『山形詩人』74号・無署名)
 率直な心情の吐露。詩は簡単ではないと私も思う。だが論理の帰結にはうなずけなかった。言葉の無力を嘆く「後記」はほかにもいくつかあったが、書いても仕方がないのなら、どんな詩も意味がなくなるだろう。
 希望も絶望も、人の想像から生まれてくるものだ。想像力が現実に働きかける場所でこそ表現も成り立つ。目の前の現実と向き合い、自らの言葉で希望や絶望に触れることからそれははじまる。
 私たちはすでにこの出来事の内側に立っていて、つらい災禍を生きている。詩人の仕事は、その苦しみの中で、希望(ポエジー)が降り立つ場所を見つけていくことではないだろうか。