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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって�E8月22日後半

22日後半です。Imgp0440

この旅の段取りをつけて下さっている作家の方龍珠さんが
ぜひ登ってほしいと誘ってくれたモア山。
「モア」=「モジャ」(帽子)で、
本当に可愛らしい帽子のように延吉を見守っている街の守護山です。

車で展望台のある所まで行きました。
見晴らしが素晴らしい。
朝鮮を象徴する虎の巨像もいつも勇敢に街を見守っていました。

下の方に目をやると、あれ、鬱蒼とした少し不自然な森が…Imgp0443
よく見ると作り物で、実体は何とトイレでした(・。・)。
他の場所でも本物の木よりも木らしい木を見ましたが、
本物の木がいくらでもあるのになぜスーパーリアルな木まで作るのか、
ちょっと不思議です。

それから頂上までは登ることはやめて
モア山の麓にある方さんのお宅にお邪魔しました。
写真は撮るのが憚られてありませんが、
とても素敵な郊外のマンションでした。
サンルームのあるお部屋で美味しい西瓜を幾つも切って頂きました。
(日本以上に中国はよく西瓜を食べます。)

それから方さんの娘さんがやっている薬局を訪れました。007
もちろん置かれている薬は漢方ばかり。
目薬も胃薬も貼り薬も、
ラベルが全部漢字なのでそれが何か凄く効きそうな感じでした。
丁章さんは漢方薬を買われていました。
私も朝鮮人参を目当てにしていましたが、
それは市場でということに。
店で飼われてる子犬(「ケ」ではない、この辺りでよく見かけるころころとした小さな犬)が私に纏わり付いてきてとても可愛かったです。
娘さんが外に出て行った犬(「頭のいい」という意味の名だけど覚えていない)を
何か歌うように呼ぶのが心地よかった。
(この国ではお母さんたちは子供の名を、歌うように呼ぶのがとてもいいなあと思います。)

そして方さんとお別れし
詩人の石華さんに会いに人民新聞社へ向かいました。Imgp0445
途中で若い女性警官がてきぱきかっこよく交通整理をしていたので、
タクシーの中からぱちり。
日本では見たことがない光景ですが、
中国では日常の風景なのでしょう。
朝鮮民主主義人民共和国の報道でもこういう風景を見たことがあります。)

やがて延辺人民出版社に到着。
朝鮮族の文化の発信基地だけあって、
さすが由緒あるりっぱな建物です。
丁章さんが「延辺文学」の編集部に電話をかけるとImgp0449
石華さんが降りてきてくれました。。
おお、意外にお若い。しかしやはり編集長の貫禄はたっぷり。
日本語も聴く方はかなりお出来になるようです。

今回朝鮮族で日本で結婚されている全さんが
通訳として同席してくれました。
石華さんの話は朝鮮語ですが、とてもきれいな発音なので、
初心者の私もところどころ分かる気がしました。

まずは名刺交換をし、自己紹介をかねて三人が持参した詩と詩集を渡しました。
愛沢さんは、紀州鉱山への朝鮮人強制連行をテーマとした詩集『石のいた場所』、
私は尹東柱へのオマージュ詩「プロメテウス」の朝鮮語訳、008
丁章さんは領土問題をテーマとした詩「めざす島」。
それぞれに朝鮮族と関わりの深い詩集と作品です。
石華さんはかなり興味を抱いてくれたようです。

また、私が朝鮮学校の無償化除外について反対の活動をしていることを
丁章さんが石華さんに説明してくれました。
この問題自体よくはご存じではなかったようなのですが、
「私たち朝鮮族のためにありがとうございます。」
と日本語で言われました。

石華さんが言われた「朝鮮族」はとても新鮮でした。

そこには「世界に散らばる朝鮮のはらから」という意味合いがあるのだと思います。
日本にいると「韓国」や「北朝鮮」といった国家別に分断されて見られがちな「朝鮮人」ですが、
国境を越え世界レベルで見ればじつは「朝鮮族」です。
国家を越えたネットワークでむすばれている共同体の成員。
そのことを解放区といっていいのか、
それともディアスポラの意味が強いのかは分かりませんが。
いずれにしてもそうした「世界に散逸しつつ?がり合う」という感覚は
日本人がまだ獲得できていないものであることは確かです。
ふと、日本人はどうなるのだろう、とも思いました。
放射能汚染が深刻になって世界中に散らばることになったとしたら、
ちゃんと日本族のネットワークを作っていけるのか。
それともただ世界中に閉鎖的な日本村をいくつも作っていくだけなのか─

ところで石華さんは今年6月
『私たちの歌100年にこもる話』という評論集を人民出版社から出されました。
そこには中国朝鮮族移民期(朝鮮族は十九世紀後半に間島地方に朝鮮から移住してきました。詩人尹東柱の祖父もその一人です)から今世紀初めまで
朝鮮族の間で広く創作され歌われた50曲ほどを収録されています。
評論集でありながらも中国朝鮮族の音楽史書にもなっているものです。
「越江曲」、「涙に濡れる図們江」、「自治州創立慶祝の歌」、「延辺人民、毛主席を熱愛する」なんてタイトルのものも収録されています。
石華さんの主張はこうです。
「中国朝鮮族には固有の特色を持つ中国朝鮮文化体系が形成されている。私たちの文化として歌もやはり同様に固有の体系がある。中国朝鮮族の音楽はリズムが明るく鮮明で、音楽的な情緒やリズムなどの点で、韓国や北朝鮮の音楽とは全く違っている。」
つまり文化と音楽において
中国朝鮮族はあくまで「中国朝鮮族」なのだ、という主張です。
そしてこの石華さんの一書は、
歌謡史を通して中国朝鮮族アイデンティティを模索するために
まさに画期的であると評価されています。

この「アイデンティティ」という言葉を
石華さんは何度も強調されていました。
中国人でも韓国人でもない「中国朝鮮族」。
中国への同化が進む今、
朝鮮族アイデンティティの危機感は高まっているのでしょう。
朝鮮語を話す人も少なくなっていく。
一方で韓国の文化も流入してくる。
一体自分たちは何者なのか。
中国と韓国のどちらかに属せば
朝鮮族の苦難の歴史にもとづいたアイデンティティは消滅してしまう─
とりわけ石華さんのような文学者にとっては相当危機感があるのでしょう。
一方でアイデンティティの危機意識は
詩をむしろ研ぎ澄ませていくはずです。

さて、そんなこんな話はまずは乾杯で仕切り直しということで010

みなで串焼き屋さんへ移動。
美味しいマトンをほおばりつつ
座をもりあげてくれる石華さんの楽しいおやじギャグ?に笑い合いとても楽しい時を過ごしました。
そんな中で
石華さんって何だか懐かしい感じだなあと思っていました。
そうそう昔の詩人ってこんな風にちょっとバンカラな感じで
しかも愛情深い感じじゃなかったかな。
こんな感じで一晩議論を交わして飲み明かしたりしたんじゃないかな。
あるいは店の空間自体もそんな時代をほうふつとさせたのかもしれません。
(最近の詩人はお酒を飲まないし?!)

夜も更けて詩人たちは帰路についたのですが、Imgp0452
やはり朝鮮族の詩人との宴会はただで終わらなかった…
気がつけばなぜかみなで肩を組み車道をひた走っていました。
そしてなぜだか車両優先の中国の車たちも詩人を畏れてよけていった…
かなりスリリングなひとときでしたが
今思い出せば延吉の美しいネオンサインにいろどられた夢のよう。
ホテルの前で別れて横断歩道を渡る石華さんの背中に
酔っ払った愛沢さんがもう一度声をかけました。
その一瞬車をよけながら振り向いて見せた
詩人の素晴らしい笑顔が忘れられません。