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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩にとって熊野とはなにか(四)

倉田さんに誘われて初めて紀州・熊野に行ったのは、P7_2
2007年10月12日でした。

初めてと書きましたが、
それまで数回、白浜や串本には行ったことはありました。
しかしそこを「熊野」と意識したことはなかったのです。
ただ海や山のきれいなところ、いわばリゾートでした。
その土地固有の何かを刻みつけられたという記憶はありません。
しかし今回出会った倉田さんは、
ご自身も熊野を大変意識して詩や文章を書かれている方でした。
初回から熊野の色んなディープな場所へ案内して下さいました。
初回に連れていっていただいたのは、
新宮、牛馬童子のある箸折峠、湯ノ峰、古座、江住です。

まず降り立ったのは新宮です。
そこではまず中上健次さんのお墓に連れていかれました。
「ナカガミケンジのお墓−?」
内心わけが分からず、
言われるままにりっぱなお墓の前で拝み、
記念写真を撮りました。
あとで聞いたら、
文学に関わる者が新宮に来たらまず中上さんのお墓に参らないと呪われるとか、
新宮伝説?があるそう。
もちろん根拠のない話です。
しかしそれまであまり中上さんに関心のなかった私は、
まずはいきなりお墓というインパクトを与えられて
かえって良かったのでした。
お墓はとても明るい感じでしたし。
それからそこから近い中上さんのご実家もいきなり訪ねました。
「もう夕方でアポも取ってなくて、大作家の家に行くの?!」
という私の心配をよそに、
倉田さんは古風で清潔な中上家の玄関の扉をがらがらと開き、
「すみませーん」と元気よく声をはりあげました。
すると若い女性が応対に出て来られました。
「いつもお世話になっています〜」
(と、とってもフランクに挨拶していて不思議でしたが、あとで聞いたら、倉田さんはかつて中上さんが熊野に戻る時、一週間前から断酒して待っていた熊野の人々の一人だったそうです。)
中上健次さんのファンの方が京都から来たので
(遠い昔「枯木灘」を何か通過儀礼のように読んだだけで、
そのときは別にファンではなかったですが)、
お線香を上げさせてもらえますか」

すると女性は、
「わあ、ありがとうございます!健ちゃんが喜びます!月命日(命日は8月12日)ですから」
ととても喜んで下さったのです(親戚の方なのでしょうか)。

「健ちゃん」
というその言い方が本当に温かで
ぐっと胸に来ました。
そしてずうずうしくも上がり込みました。
ちらりと脇を見るとそこは食堂らしく、
大皿におかずが盛られちゃぶ台の上に美味しそうに載っていました。
とても大人数のもののように思え、
何だかそこに作家も加わる気配さえ感じました。
そして大胆にも仏壇でお線香を上げさせてもらいました。
さらに大胆なことに
たまたま持っていた私の現代詩文庫を女性に手渡すと、
とても喜んでくれました。

初めて熊野を熊野と意識して過ごした
不思議な夜でした。
(写真は、新宮の書店、荒尾成文堂に掲げられた中上健次の色紙)