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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

にがよもぎ

東京電力福島第一原発の事故は、放出された放射能の推定量からみて、国際評価尺度で大事故にあたる「レベル6」に相当することがわかった。すでに米スリーマイル島原発事故(レベル5)を上回る規模になった。局地的には、旧ソ連チェルノブイリ原発事故に匹敵する土壌汚染も見つかっている。放出は今も続き、周辺の土地が長期間使えなくなる恐れがある。」(本日付朝日新聞より)

原発事故がもたらす恐ろしい災禍が実現しようとしています。まさに悪夢です。
今は少なくとも事故がおのずと収まっていくことを願うしかないのですが。

チェルノブイリがロシア語の「にがよもぎ」に当たる言葉であることから、聖書の黙示録で事故が予言されていたという話を思いだし、久しぶり繙いてみました。

[8-10]『第三の御使ラッパを吹きしに、燈火のごとく燃ゆる大なる星天より隕ちきたり、川の三分の一と水の源泉との上におちたり』
[8-11]『この星の名は苦艾といふ、水の三分の一は苦艾となり、水の苦くなりしに因りて多くの人が死にたり。』

二千年も前の人々が、今日本で起きている水の汚染を幻視していたようにも思えます。
死んでしまうのは、神様を信じない人ということのようですが、上の箇所以後にある、「大なる爐の煙のごとき煙、坑より立ちのぼり、日も空も坑の煙にて暗くなれり」は原発事故、「煙の中より蝗地上に出でて、地の蝎のもてる力のごとき力を與へられ」という蝗は放射能、そして「その苦痛は蝎に刺されたる苦痛のごとし。このとき人々、死を求むとも見出さず、死なんと欲すとも死は逃げ去るべし」は、被爆の苦痛を象徴していると思えてなりません。そして、それは災いの始まりにすぎないというのです。

聖書に詳しいわけではありませんが、遥か昔からある人々は、エゴや傲慢といった人間性の負の部分がもたらす破滅を見つめ、警告していたのに、多くの人は耳を貸さなかった、ということが繰り返されてきたのではないでしょうか。