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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

土本典昭『原発切抜帖』(一)

一昨日、大阪・南森町にある「スペース小川町」においてTsuchimoto
「小川町シネクラブ・関西」第5回上映会がありました。
すぐれたドキュメンタリーや劇映画を定期的に上映している少人数の映画鑑賞会。
今回の上映映画は、土本典昭原発切抜帖』です。
上映後に、映画評論家の木下昌明さんによる解説がありました。
その後の、鑑賞者たちによる討論も含めて、大変触発されるものがありました。

土本典昭さんのドキュメンタリー映画を見たのは今回が初めてです。
土本さんは水俣病の映画で有名な記録映像作家ですが、
1982年作のこの映画は大変斬新なセンスで原発問題に迫っています。

斬新というのは、この映画には、人物や風景ではなく
新聞の切り抜きだけが次々と映し出されていくからです。
広島の原爆から始まる原子力関連のおびただしい記事のかずかず。
それらに小沢昭一さんの軽妙な語りが、鋭い解説を加えていきます。
ことばが記事と記事をつなげると、事実と事実がつながり、
今のフクシマへと必然的に至る物語が
見る者の一人一人の胸に炙り出されていきます。
カメラは記事の横にある写真や漫画や広告もとらえ、
原子力の物語の周辺をいろどった時代の風俗や風潮を浮かび上がらせることで
見る者は自分の生きていた日常が
いかに危険と隣り合わせだったかを思い知らされるのです。

映画は広島の原爆から始まります。
原爆が投下された翌日は「焼夷弾爆弾」としていた小さな記事と
九日後の敗戦後「原子爆弾」という大きな記事の対比。
これはショックです。
「日本政府は、最初からちゃんと原爆であることを知っていた」
「日本側も原爆製造をもくろんでいたので原爆投下も十分承知していて、広島や長崎の人々を見殺しにしたのだ」
この真実は今年8月6日のNHKスペシャルで初めて公になったそうですが、
土本さんはこの映画で30年前にすでに鋭く指摘していたわけです。

そして米ソの核実験。
第五福竜丸事件で日本が騒然となっていったこと。
しかしアメリカについては
じつは国内でのネバダ砂漠での実験の方が遙かに多いということ。
映画俳優のジョン・ウェインが『征服者』(1956年)の長期ロケによって
多くの俳優やスタッフと共にがん死していること。
アトミック・ソルジャー(核爆発直後に、爆心地に突撃した兵士)だった
ある兵士が
治療のために来日した時に見せた膨れあがった片腕(写真)。
旧ソ連の北極圏やウラジオストクでの実験。
その時の「死の灰」の雨水を飲んだために白血病になった山形の灯台守。

そして日本の原発状況。
81年の敦賀原発放射能もれの事故。
現場で処理にあたった下請け作業員は、素手でぞうきん掛けしている。

核のゴミ問題も取りあげられています。
当時、すでにドラム缶に30万本あり、1700本が相模湾駿河湾の漁場に捨てられていたという。
それが南の島まで拡がり反対運動に遭っている。

映画は土本氏が
記事に切れ味のいいハサミを入れつづけるシーンで終わります。