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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

寺山修司の青森・三沢をたずねて(一)

少し前のことになりますがTerayama1
先日日光へ行ったあとで、青森県三沢市にある寺山修司記念館を訪れました。
(後日述べたいですが、私は寺山修司という詩人は、現在の日本の現実から言葉をあらためて立ち上げるための、とても大切な詩的ヒントを提示してくれていると思います。)

三沢という町に行ったのは初めて。
中心街では、広い道路と沿道にならぶアメリカ様式の店舗が目を惹きました。Misawa_kinenhi
そして空からはたえず、米軍のものか自衛隊のものか分かりませんが、
雷鳴のように聞こえてくる航空機(戦闘機?)の騒音が、耳につきました。
ここは基地の町なのだとあらためて実感しました。

寺山母子(父親は5歳の時出征しやがて戦病死)は、寺山が9歳の時、空襲を受けた青森から逃れこの三沢にやってきます。
三沢駅前には、父親の兄から間借りして住んだ「寺山食堂」のあった場所がありました(今は別の店舗が建っています。写真上)。
そして戦後、母子はここから、同じ三沢の米軍払い下げの小屋を改築した家に転居します。

三沢での寺山母子の生活は、敗戦直後の日本のありようを反映したものでもありました。Terayama2_2

町に進駐軍(「山猫部隊」)がやって来た日について書いたエッセイ「西部劇」(『誰か故郷を想はざる』)は凄く面白いです。
現実に起こったことを、現実のままそっくり演劇的に虚構化しています。

町の人々は最初、進駐軍を怖がって息を潜めています。
それに対し、兵士達はまずチョコレートを投げる。
するとそれに誘惑されて町にはドタバタの「西部劇」が始まっていきます。

「そのチョコレートカーブによって、古間木(注:三沢の旧名)共同防衛隊はもろくも崩れてしまった。駅前食堂のウサギが、母親のとめる手もふり切ってとび出して行ったのだ。みんなは一斉に息をつめた。ウサギが、やられると思って目をつむった者もいた。路上で爆破されてもんどりうって転げ死ぬかわいそうな小学生のウサギ! それは見なれた戦争映画の一ショットだった。
 だが意外なことにウサギは何ともなかった。まき散らされたチョコレートをぜんぶポケットにしまい、その一枚を紙ごとかじると、それを投げ捨てた樫の木のような黒人兵がひくい声で、
『ヘイ・マイフレンド』と言った。」

 そして「ウサギ」はためらいつつ、やがて誘惑に負け、自分から兵士に近寄り、握手さえします。

「すると『樫の木』は、その握りあっている手を高くあげて駅前通りの、『閉じている人たち』へ向って『マイフレンド! マイフレンド! マイフレンド!』と叫んだ。そのことばでせきを切ったように、他のアメリカ兵たちも一斉にガムやキャンディやチョコレートを取出して、節分の豆まきや有名スターがステージから客席へサインボールを投げるように投げはじめた。
 死んでいた古間木の町はたちまち甦り、閉じていた商店街の戸があいて、われさきにとマイフレンドたちがチョコレートやキャンディを拾いに駈け出して行った。(・・・)」

写真(中)は、駅前の神社の「日支事変帰還記念碑」(「寺山食堂」の家主であるおじの名が刻まれている)、写真(下)は、恐らく小学生の寺山が遊んだであろう(と勝手に直感した)丘の木々。