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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

10月3日付京都新聞朝刊・「詩歌の本棚」

10月3日付京都新聞朝刊・「詩歌の本棚」          

                                       河津聖恵

  九月初旬、韓国・鎮海(チネ)で行われた「キムダルジン文学賞」授賞式で、日本からの招待詩人の一人として詩の朗読をした。韓国、フランス、モンゴル、中国の詩人達も一緒に母国語で朗読したが、彼らの朗読と二人の日本の詩人のそれは明らかに異なっていた。彼らが頁から顔を上げ観客に向かい力強く訴えかけたのに対し、二人の日本人のそれは、文字を目で追いながら内面を辿るような控えめなものだった。なぜか。日本人の美意識のためだけではない。日本語自体が抑揚が少ないこと、作品のテーマが内面的であること、また日本の詩の常で、音読でなく黙読のために書かれた作品だったことが理由に挙げられる。いずれにしても異国の空の下で自分の中から放たれていく日本語は、新鮮に愛おしかった。一語一語が生まれたてのように、韓国の伝統的な庭園の澄んだ空気に、初々しい羽を拡げていった。

 愛沢革『石のいた場所』(土曜美術社出版販売)は、一昨年出た『空と風と星の詩人 尹東柱評伝』(宋友恵訳、藤原書店)の訳者による第一詩集。詩集タイトルにある「石」は、「物言わぬ」ながら、「長い年月のあいだにそこから溶け出すなにか」が土に滋養をもたらし、生命を育む存在である(「あとがき」)。この石のイメージには、京都に留学中に治安維持法違反で逮捕され、解放直前に福岡で獄死した尹東柱への思いが込められている。東柱は「平明な表現でありながら、みずからの歩むべき道をしずかにうったえるひびきで、われひとへともに問いかけるよう」なすぐれた「詩の石」を私たちに残した詩人だ。この詩集には多くの石が登場するが、すべて過去から今ここへ押し出されてきた、無言の伝言者である。
 作品「石とリボン」は、戦時中旧紀州鉱山で強制労働のさなかに亡くなった、朝鮮人を慰霊する追悼碑除幕式の情景を描く。表紙カバーに使われている石が詩のモチーフだ。
「一つ一つに青いリボンが結ばれて置かれていた//リボンの結ぼれを/参加者一人ひとりが前に出ていって解く行為に/なにが託されているのか?/そのとき雲は不穏な動きを見せ/渦巻くように風をこもらせる/生者は宙ぶらりんになった/いのちを感じる//石に託された死者の恨(ハン)が解けるものか?//だがリボンの結ぼれを解いたわたしは/解かれた石に託されたその人/「◯鐘連(ジョンニョン)」という人のいのちと/不思議な縁で結ばれた/◯鐘連! あなたの恨が解けるまで/真相をつきとめ広めていく/人生のような道のりの/縁をむすぶ」

 五十嵐節子『吾亦紅』(パレード)も、詩作歴十余年を経ての第一詩集。生と死のあわいに立ち、いのちの濃い実感を鮮やかなイメージへ昇華する。この詩集にも、日韓の過去の歴史に関する作品「幻売り通りを抜けて」ある。「一九三八年の運動会」で見た「白いチマ・チョゴリの年老いた婦人達」のチマの白い色は、歴史の闇から託されたいのちのメッセージだ。
「北九州戸畑市沢見小学校の運動会で/何ゆえに笑みもなく無言で/彼女達が茣蓙に座っていたのか/それから十年の歳月を経て私はその意味を/恐怖に近い恥に震えながら知った/祖国と母国語を奪われた人達にとっては/笑みも生まれぬということを//──嗚呼、望郷の想いふかく他界した/チマ・チョゴリの婦人達/チマ・パラム(風)は/白いチマの裾を翻えし/帆にふくらませ/紺碧のコーリア海峡の上/白く舞う婦人達を/生まれた島へと誘ってゆく──」