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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「YAKINIKU アーティスト・アクションin枝川」に行ってきました

昨日、枝川の東京朝鮮第二初級学校でのイベントImage1139
「YAKINIKU アーティスト・アクションin枝川」
に行ってきました。

オープニングイベントの朗読会の部で
相沢正一郎、柴田三吉、許玉汝、河津の『アンソロジー』参加詩人四名で朗読しました。

来月にも取り壊される木造の初級学校の懐かしくも切ない
多くの人々の喜びと労苦が染みこんだ空間で
朝鮮学校への思いをこめた詩を朗読できたのはImage1122
本当に感慨深いものがありました。

許南麒の「これがおれたちの学校だ」を
許さんと二人でバイリンガル詩朗読した時、
1948年当時の学校がたちあらわれたように思いました。

「そして1948年春三月には/ときならぬ嵐がふきすさび、/この窓をたたき、/君たちの本をぬらし、/頬をうち、/あげくのはては/学ぶ自由までも奪い上げようとし、」

そんな時代からImage1136
ハッキョはここまで頑張ってきたんですね。
コマッスミダ。

オープニングイベントは
すべての演目が素晴らしく
高嶺羽さんたちの「ピナリ」という学校への祈りの音楽には
体の底から励まされました。

「月刊イオ」でいつもその世界に圧倒されている
豊田直巳さんのフォトスライドショーも
チェロの重厚な生演奏とあいまって迫力がありました。Image1138
前半はイラクなどの戦地の写真、
後半は枝川の朝鮮学校の写真でしたが
朝鮮学校無償化除外という差別が、結果的に戦争の悲劇に繋がっていく」
という説明が深く心に残りました。
戦地を体験されている豊田さんの実感ですが、
じつは私もまたずっとそう確信していたので、
我が意を得たりという気持でした。

最後の白承昊さんの歌とギターも幻想的で素敵でした。Image1112

展示物はまさに
学校の教室という現場とアートの「蜜月」です。
温かで、素朴で、人の心を掴む魅力あるものばかり。
学校の廃棄物を使った電飾の作品や
学校の新出発を祝うかのような花の船が素敵でした。

ある部屋では
「あなたにとって朝鮮とは何ですか」という質問とは何ですかImage1120
という文字が日本語とハングルで書かれた
赤・青・白の長い布が垂れ下がっていました。
私にとっては・・・
感性の裂け目を与えてくれるもの、でしょうか。

大きな橋を渡った埋め立て地にある東京第二朝鮮初級学校。
1954年の映画「朝鮮の子」の舞台ともなりました。
なぜこの学校がここにあるのか、
1940年の幻の東京オリンピックとの深い関係を知り
愕然としています。
これからゆっくり歴史を繙き、
詩の次元へと移し換えていきたいですね。

昨夜、ホテルで浮かんだ詩を今完成させました。

サラム
                 河津聖恵

サラム、
それは夜の石を踏む裸足の冷たさ
あさなぎ橋を渡る君は 
誰にも知られず
ふいに靴を脱ぎ捨てる
白色矮星の都市が柔らかに映る
橋の下の黒き流れに
靴は音もなく
古びた国籍のように呑み込まれた
研ぎ澄まされる足裏から
君は知る
川から海へ向かう彼方は戦場だ
サラムと非サラムの間で引き裂かれ
傷口からあふれるものが今も
この下を体熱のまま往きすぎる!
サラム、
川の向こうから
君の背を見つめる六十年前の祖父達
橋を渡れなかったあの冬の時代に
いまだ凍てつくままの子供たちは
引き結んだ唇をかすかに緩め
覚え立ての母国語を
再び唱和しようとする
橋を渡る君のために
振り返るな
ただしなやかな一歩一歩であれ!
川向こうに今輝く闇としてある
明日壊される無人の木造校舎の廊下で
サラム、
君のために幻の裸足は踊りだし
恐る恐る写真から抜け出る幼き足達さえ
この世に初めてのステップを踏む
みずからの素足の金属の冷たさ
獣の熱さに誘われていくのだ
サラム、
サラム、