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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

#連歌デモ1901〜1950

1901闇いよよ深くしあれば一筋の光射し込む季の嬉しや

1902福島の幸は我らが決めるにあらず 共に生き抜く未来を描く

1903何もかも想定外と言い抜ける己が身のみは安泰として

1904明日しれぬと思い今日をなにげなく過し未来の仕事を受くる

1905きみのこころがだれにもとられぬようにいまはまもるよ いつかえみがうかべられるように

1906てぃんさぐぬ花(ホウセンカ)のようにこころに染めたい ひとのいのちの意味 尊さを

1907内部から腐り始めたこの国に何処まで群がる魑魅魍魎

1908魑魅魍魎たち蠢く世に闇は深くあれども信じたいひかり輝く明日が近きことを(1907へ返歌)

1909ふるさとを追われしものの悲しみをふるさと持たぬ女が想う

1910この国に勢いがあれば断固たる覚悟で汚染封鎖したでしょ

911関開く佞臣いて外圧などほんの少しで国滅ぶ理

1912ふくしまの幸みな奪われたりと嘆く世になどて無人の岩山を思うらん

1913テロならば戦争ならば標的に発電騙(かた)った自爆装置

1914はからずも生きた見本をまのあたり巧言令色少なきかな仁

1915クムイウタ(子守唄)の言の葉に込めた子への想い知れば隣の国も同じだと思えるのにね

1916小泉に衆愚踊った夢芝居またも懲りずに維新ブームか

1917維新とは己が身を捨て成し遂げた 関電ごときに負けて名乗るな(1916へ返歌)

1918自民党原発濫造に頬被り政権復帰即推進か

1919むずがるきみのためにでんでらりゅうば歌おうね こわいものは出てこん出てきたくとも出られんけん

1920長じても尚吾子のせがみけん 母そのまた母の唄いし子守唄 (揺りかごの夢に白い月がかかるよ ねんねこねんねこねんねこよ) (1919へ返歌)

1921空港について見ゆるは桜島緑深き南国の国

1922甑島深き蒼の海なりて魚と戯れ波に涙す

1923旨い物自慢はかるかん白熊黒豚知覧茶忘れじの薩摩揚げ

1924鹿児島の人の情けの篤ければ再びまみえん鶴丸城にて

1925知覧には黙して語らぬ若人の「聞けわだつみの声」平和を夢見て

1926どの子にも父母あり友あり幼あり生きる望みを託されけにきり

1927戦争にあらずや政争具となりて町の情けの割るるを悲しむ

1928大隅のいのちは民のものなりて触れずば子孫の宝となりぬ

1929響くときいつも嘆きの海神(わだつみ)は万葉昭和そして福島

1930辺境をつくりし中心妄想よ汚れを島の端に押しつけ

1931そこかしこ蘇生の力溢れ来よいざ衰頽の島を潤せ(1930へ返歌)

1932新しき目をもて立ちぬ絶望も失せよ辺土に力漲れ(1931へ返歌)

1933流氓となるやもしれぬ島人の希望は小さき隅々に棲む(1932へ返歌)

1934被曝の惨禍にいる人 流民になり生きる人を 人よわすれるな国よ忘れるな(1933へ返歌)

1935この惑星(ほし)の青さは国を越えても同じ青さ ひとの祈りもこころもなみだも同じごとく

1936ひとなれば赤き血潮のあふれけりその熱を持て変えゆけ世界(1935へ返歌)

1937ハングルの文字にも沢山の祈りと愛の言葉あり きみもまた平和を願う同胞なり

1938故郷は身の内にありこころありいずこにありても血が懐かしむ

1939諸々の思いは胸の奥なりや声を一つに叫べや今は

1940方法は違えど同じ熱さにて全国に広がる金曜日デモ

1941去年の夏心まだ乱れ“この夏”に歌と歌とに出逢い舞い歌い

1942あのお空はどこまで続くの?と尋ねる子に 避難で離れたおうちにもと答えるかな

1943古里(コリ)でまた原発とまりし報せ聞きふと思う 若者よ原発のためになど死ぬなよと

1944震災と原発危機とは別物と分析して悦に入る旧き人あり

1945最初で最後の大きな願い君と叶えむ原発なき世を

1946いつの日にかその大きな夢を叶えし君にそっと手渡そう 福島の涙から学んだ核のなき世の中を(1945へ返歌)

1947竹島北方四島樺太も国境変われど大地は生きる

1948核汚染大地死しても福島を塗りつぶすまじ日本の地図から

1949人だからこそ深き痛みに思いをはせられる 心に泪と怒りをためていつしか意思を貫くなり

1950キャンドルに亡き闘士達も集まりぬこんな日本に誰がしたかと