詩人とはマイノリティである、という先日からの記事タイトルは
大上段にふりかざした感じですが、
しかし、先刻の「天秤」論争から引きだされたものです。
もう一応終熄したことですが、
詩とは何か、を
自分自身にもう一度問い直さなくては、
とあらためて痛感しています。
日本語のマジョリティ的なあり方から、降りる。
思考や感性のマジョリティ的なあり方から、降りる。
今は誰もがマジョリティを志向しているから
その価値観から降りるのは怖いし、
どっぷり浸かっていれば降り方もなかなか分からない。
そもそも日本語を使いながら、どうやって日本語を降りるのか?
しかしおのれの重力さえ、しっかり掴んでいけばいいのでしょう。
まず、みずからにかかる重力の強度を確かめてみること。
いいえ、降りていくそのことで強度を試すこと。
などなど、いましばらく考えてみます。
ところで、昨日の朝日新聞夕刊に感銘を受けた記事がありました。
北朝鮮代表としてワールドカップに出た、
Jリーガーの鄭大世(チョン・テセ)選手の話。
記事から、代表になるまでの苦難と苦しい思いが読み取れます。
代表になっても、
祖国は他国と比べてまったく目立たないし、
がっかりした面もある。
しかし素晴らしい面も知った。
「自分が背負って戦える国は、一つしかない」と
胸を張って目に涙を浮かべるワンショットがいいです。
彼方をふりあおぐ高貴な虎みたいで、とても素敵だなあ。