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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

5月12日ETVこころの時代シリーズ「私にとっての3.11/「奪われた野にも春は来るか」」(3)

鄭さんはなぜChooo0
1926年に植民地下の朝鮮で書かれた李相和の詩の題名「奪われた野にも春は来るか」を写真展のタイトルとしたのでしょうか。

そもそも李相和はどのような状況でその詩を書いたのでしょうか。

以下は一昨年ハンギョレ新聞に掲載された
徐京植さんの「李相和の『奪われた野』と福島」の一節です(日本語版をそのまま引用します) 。

「李相和は抵抗詩人だ。 1922年に日本に行った彼は翌年9月、関東大震災の時に恣行された朝鮮人虐殺を目撃して帰国した。 そのことが彼を抵抗詩人側に強力に導いたのだろうという話もある。『奪われた野にも春は来るのか』は1926年の作だ。 当時朝鮮では日帝の『産米増殖計画』に伴う収奪で多くの農民が根源を抜かれ流浪者になった。私の祖父が日本に渡って行ったのは1928年だ。その3世代後の人として私は日本で生まれた。在日朝鮮人の多くがそのようにして日本で生きることになった。李相和の詩は植民支配下の朝鮮人の心を歌った名詩であり、まさに在日朝鮮人の心を歌った詩だ。」

つまり
放射能によって土地を半永久的に奪われた福島の人々の悲しみと
故郷を他者に支配され収奪されるのを目の当たりにした朝鮮の人々は
「奪われる」という経験を共有しているのではないかと
鄭さんは考えたのです。
故郷を奪われる心は同じではないかと。

しかし一方、
当時の朝鮮人の悲しみを象徴する詩のタイトルを写真展に付すことは、
そもそもは地震津波という「自然災害」が原因で故郷を奪われた日本人と
植民地主義の暴力の被害者である朝鮮人の体験を
同質化することにならないか。
その結果、
かつての日本人の植民地支配を免罪しているようにとられないか、
という懸念が生まれ、
鄭さんは悩みに悩みました。

そしてたどりついたのは次のような考えです。

問題は免罪符を与える与えないということにあるのではない。
奪われるという経験を互いに共有することにあるのだ。
そうすることで過去の日本人の行いについても考えをめぐらせ、
歴史への向き合い方も意味の深いものになる。
苦痛により互いが理解できる地点が生じるかもしれない。
それがどの程度真の共有点になるのかが問題である。

李の詩は
「しかし、いまは野を奪われ春さえも奪われようとしているのだ」
という一行で終わる。
その後がないのである。
この「春」とは一体何か?
ただの季節なのか?

朝鮮語の「春」には「見る」という音が含まれている。
しかもその「見る」は「直視する」「しっかり見る」
ひいては「考える」という意味だ。
つまり「本質を理解する」「悟る」。
それがこの「春」の意味である。

「春」が「希望」ならば、
「希望」とは希望のないところに見つけるものだ。
時間が経って自然に与えられるものならば
それはただの季節の「夏」と変わらない。
しかし私の、李の考えた「春」はただの季節ではない。

失われた春は「与えられる」のではなく
「取り返す」のである。
直視することでどう取り返せるのか。
それが私の考える、見せたい春なのだ。
記憶は薄れていくだろうが
私は自分が信じてみようとすることを提示するだけだ。

被災地は被写体自体が強烈であるから
そのつよさに触れただけで限りなく写真は撮れてしまう。
そういうものを苦心して避けつつ
そこからさらけだされてしまうものを
配慮をもってさらけだし、共有したい―

以上のような鄭さんの思いと考えは
私にとってもまさに「希望」に思えます。
鄭さんは
今、福島あるいは日本から、
何が何によって、どのようにして奪われているのかを直視し
見えてきたものを写真で示すことで
それを見る福島あるいは日本の人々と
現在の福島あるいは日本における故郷喪失の痛みを共有し、
さらにはその痛みの共有から
一世紀以上前の朝鮮の故郷喪失の痛みをも
互いに共有する可能性を探るのです。
そして
現在と過去を貫く新しいまなざしを互いに持つことで
奪われたものを共に「とりかえす」可能性をも生まれるかもしれない、
そのとき「奪ったもの」である本当の敵の姿が
見えてくるかもしれない、と。

鄭さんは「奪われた野」を生涯訪れ続けたいと言います。

この南相馬での撮影を私のプロフィールにしてしまってはならない。
見つめた対象が写真という活動に使われてはならない。
相手と自分との関係が一度だけの素材として消費されてはならない。
命の続くかぎり繰り返し訪れたい。
一年に一度はたとえ撮影しなくとも訪れ
変わっていくものを確認し共有したい。
自分がここを訪れることがただの素材ではないことを確認したい。
誰かに見せるのではなく自分が確認したいのである。
人間という存在とは
人間の欲望とは何かを
学び続けたい。
それが私にとっての写真である―

写真とは自分自身を見つめ、変わっていくこと―
そのような信念を持つ写真家に写されることで
「奪われた野」は
必ず何かをとりかえしていくはずです。

Chooo1