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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

善魔

「善魔」ということばを今思い出しています。

夜の報道番組で
マイクを向けられた道行く人々はみな
野蛮な隣国からこの国を護らなくてはならない、
とレポーターに告げていました。
まるでそれがゆるぎない善のように。
いつか画面で少女がいきなり
核実験なんて許せない!と叫んだあの時と同じように。

いつから人々は
あのようなうすっぺらな古代的な表情を
さらすようになったのでしょうか。
もっと毅然と国を護れ、という。
いきなり臆面もなく「国家」を口にする。
まるでそれがあらゆるものに君臨する最高の善であるかのように。
しかしそれは一番安っぽい善ではないでしょうか。

「「善魔」という言葉を、私は、だいぶ以前、ある日本人神父から聞いた。身勝手で薄っぺらな「善」を、むりやり押しつける者を意味する造語で、神父は「悪魔よりも程度がわるく、魅力がない」と吐き捨てるようにいったものだ。」(辺見庸『永遠の不服従のために』)

「善魔」はここではブッシュ前大統領です。
「世界を私物化しようとし、まさに人が病むほかないシステムをつくる一方で、米国式正義を強いてくる」善魔。
その善とは、「厚みも道理もなく、よくよく考えれば、それは悪に限りなく近い」。

真の悪はうすっぺらな善から生じてくる。
そのことを私たちはあの時まざまざと目撃したのではなかったのか。
善と悪は対立でも、無関係でもない。
最大の悪魔は
うすっぺらな善を疑わず主張する「善魔」なのです。