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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「東柱を読む会」第一回

昨日は大阪も大雨でしたが、P6260225_3
「東柱を読む会」第一回は
大変熱気のこもった会となりました。

会場となったのは、喫茶美術館の奥の間でした。
丁章さんのご配慮で、会場は人数分の席が整えられ
重厚な民芸家具のテーブルの上には
今回の資料や関連書籍が丁寧に並べられていました。
須田剋太の絵や島岡達三の陶器に囲まれた会場は
アートフルかつ落ち着いた雰囲気で、東柱を読むには最高の環境です。
二十名近くが集まりました。

第一部は
私が「プロメテウスとヘラクレス ──東柱の場合」というタイトルで少し話をしました。
東柱との出会いがもたらした、様々な出会いや現実をお話したあとで、
京都朝鮮中高級学校で聞いた
金(前)校長の言葉に触発されたテーマで話を続けました。
「肝」という作品で
「プロメテウス、哀れなプロメテウス」と呼び掛けた東柱にとって
プロメテウスとはどんな存在だったのか。
そして最後にプロメテウスがヘラクレスによって救われた
というギリシア神話の結末を
東柱が意識していたとしたら、ヘラクレスとは何だったのか。
そんな内容の話をしました(またこのブログでもこのテーマで詳細を書きたいです)。
その後、かなり内容の濃い意見交換が交わされました。

第二部は
まず許玉汝さんが「序詩」の素晴らしい朗読をしてくれました。
続けて愛沢革さんが原詩を解説。
この詩には訳がたくさんありますが、
各訳にはそれほど大きな違いはありません。
しかしそれだけに翻訳の自由さの範囲でどこまで東柱の真意に迫れるかが
勝負になるとのことです。

とりわけ問題となったのは、
(例えば金時鐘氏訳では)「恥じ入る」「葉あい」「絶え入る」「かすれて泣いている」
の部分。
それぞれに、原語と日本語との微妙な照応関係から説明がなされていきました。
朝鮮語がほぼ分からない私にも
とても納得のいく解説でした。

問題の伊吹郷訳「生きとし生ける」については
英訳ではmortal(有限な命を持った)という語が当てられていることから
この伊吹訳にも根拠があるという見解もあるそうです。

それに対して会場からは、一行目の解釈も含めて意見が出されました。
東柱が生きた時代の「死ぬ」とは
「凍えて死ぬ」「撃たれて死ぬ」「飢えて死ぬ」
ということであり、
死とは突如やってくるものであって
けっして「尽きる」ものではない。
「生きとし生ける」とは日本人の伝統的な美意識にのっとった
一つのことわざのようなものであるとのこと。
とても鋭い意見でした。

今の東柱の原詩と呼ばれるものの多くは韓国で出版されたもので
現在の韓国語に変えられている部分があるそうです。
だから、東柱が書いた通りの朝鮮語で読むことが大切だそうです。

例えば最後の「スチウンダ=こすられる」も、
中国語訳では「風の中で戦慄している」となっているものがあり
星=朝鮮民族、風=日本(日帝
ととらえているけれど
しかし東柱の詩には
声を荒げない明東村の方言が染みこんでいて
そのこともまた
原詩に接しなければ分からないということです。

とにかくこうした翻訳談義は普段聞けないもので
朝鮮語が分からない私にもとても面白かったです。
愛沢さんの話や会場との意見交換からは
朝鮮語と日本語がこすれあうような感じがしました。
それこそ星が風にこすられるように
私の中でも目覚めるものがあって
凄く新鮮でした。
二時間のあいだ私の日本語もちかちかしていきました。

いずれにしても全体としてとてもいい会となったと思います。
東柱の詩と生き方をとおして交わされた対話から
いくつもの詩や思考のヒントを貰った気がします。
会場を提供して下さった丁章さんが
素晴らしい司会もしてくれたお蔭で
第一回の緊張もうまくほぐれていきました。

また近いうち第二回を行う予定です。