三日前の9日の夜、大阪の東成区役所一階にて
新詩集『ハッキョへの坂』のお祝い会を
在日朝鮮文芸同大阪文学部の方々にひらいていただきました。
お忙しいところ参加して下さった皆様には
この場をかりて心から感謝申し上げます。
とても素敵な夜でした。
詩集の中から六篇を選んで朗読していただき、
またこれまでに出た書評を二つ、読みあげていただきました。
当事者である在日コリアンの方が今回の詩集の作品をどんな風に読むのか
ちょっとどきどきしていましたが
皆さん熱く、心をこめて、読んでくれました。
「ハッキョ」(朝鮮学校)へのそれぞれの思いが、そこにこめられていました。
最後に私が『ハッキョへの坂』の上梓に至るまでの経緯を少しお話ししました。
2009年に、2007年に「文藝春秋」に発表した「プロメテウス」が
朝鮮大学のピョン先生に朝鮮新報にとりあげられるまで
在日コリアンの人の存在を全くといっていいほど知らなかった私。
(と言うと、驚かれました。東京の新興都市に育ったということもあるでしょうが、古都・京都でも自覚的に周囲を見てこなかったわけです。問題が見えない環境、あるいは見ようとしなかった生活態度では、問題意識が生まれないのは当然でしたが、言い訳をすれば、貧乏しながら詩ばかり書いてきたからなのです・・・)
そして朝鮮学校を知り、その後に無償化除外反対の問題に出会って、
初めてこの日本に大きな問題があることを知りました。
しかしこれまで差別の問題に関わったことがなかったために
私にはかえって自分もその一人である日本人の精神的な脆弱さが
よくみえてきたのです。
自分自身が分かってきた。
社会や人生の問題について親や友人と真剣に語り合ったことが殆どなかった。
マジになってバカじゃないのという冷淡な空気を、自分も先んじて読んだこともしばしばでした(だから本当のことを言える詩を書き続けてきたのだと思う)。
そしてまた、除外問題の根の深さを知るにつれ
人の真似をしても、慣れない用語を使っても仕方がない、
自分自身のやり方や考え方を鍛えるしかないと
思うようにもなりました。
それが詩の変化にもつながっていったと思います。
大阪のネオンサインの美しい靜かな夜に包まれた
楽しい二次会でもまた
皆さんと語り合いながら、家族と談笑をするような懐かしい気持がしました。
不思議です。
民族も来し方もまったく違うのに。
いえ、少なくともこの一年間は兄弟姉妹のように濃い時間を共に過ごしたのですから。