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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

7月4日付京都新聞朝刊「詩歌の本棚」

「空が青いから白をえらんだのです」。センスの良いコピーかとも見まごう一行。だがこれは『奈良少年刑務所詩集』(寮美千子編、長崎出版)に収められた詩「くも」全文だ。同詩集は、刑務所の「社会性涵養プログラム」の一環である詩の授業で、少年受刑者たちが書いた詩を、教師の寮氏のコメントを付けてまとめたもの。社会が受刑者に持つイメージとは裏腹に、かれらの詩は総じて繊細で優しい。例えば「黒」という作品の一節。「黒は ふしぎな色です/人に見つからない色/目に見えない 闇の色です/少し さみしい色だな と思いました/だけど/星空の黒はきれいで さみしくない色です」。少年たちの心を「『心の闇』のひと言で、すますこと」は決してできない。かれらは出会い直した言葉を通し、闇を重層的なものとして見つめ直した。言葉にならない罪に沈黙した少年たちは、言葉と再び詩の次元で巡り合って、蘇生したのだ。

  東川絹子『母娘生活』(オリオン社)は、介護の体験から日々生まれる心の揺れ動きを、詩的に昇華した。介護の相手が実母ではないという事情が、心情表現をより陰翳深いものにしている。一般に娘による母親の介護は、言葉を失わせるほどの苛酷な事実を、娘に突きつける。だからこそ、作者は言葉の力によって詩的次元へと高めずにはいられなかった。その結果介護体験を昇華し、自身の来歴を見つめながら同じく老いている自らの宿命を幻視して、人と人との根源的な愛情を魂で感受する、という詩的経験となしえたのだ。ユーモアの力ももちろん借りて。

「母は もうひとりのわたしだった/わたしが笑うと 歯のない口元をゆるめ 空を仰いだ/わたしが泣くと 肩は揺れ 途方にくれた//想い合うことで/母は 母以上のことをし/わたしは わたし以上の力をだした//目を閉じたまま首をかしげ/わたしの身体の中を/一生かけて通り抜けた人」(「35」)

「『いた〜い』/まだ 栄養が届いてるね/『いた〜い』/まだ 声も充分出るね/『いた〜い』/生きてる証拠/『いた〜い』/いつまでもこの世に居たい?/そりゃ無理というもの/地球上に 人間があふれちゃう」(「24」)

 楡久子『忙しい主婦の虫干し指令』(詩遊社)は、事実としては暗くもある家族のいとなみを、ユーモアと寓意と言葉のリズムによって、からっと詩の空間へ晒している。虫干しとは、書画や着物に風通しし、虫の害を防ぐこと。この詩集が試みた言葉による日常の虫干しは、意味や規範の衣を脱いで蘇る喜びを、読む者に伝える。

「家中の布団を干し/その上に家族を干すよ/夫はタムシを差し出す/義父には/干物になるかもと思うが言わず/カーテンの陰で寝ててねと/ペットボトルのお茶を差し出す/娘には/おじいちゃんが転がらないように/見張りしてや/と言って/賄賂にレモンとキウイを渡す/娘は大きなお尻を出して/うつぶせてCDを聞いている/いつか熟れたプチトマトも/皺が出てくるけど/そんな事今考える必要ないわな/息子はあそこだけ/ずっと日に当てている/黒いマジックで/塗りたくってやりたい」(「忙しい主婦の虫干し指令」)

 武村雄一『踊りすぎないでおこう』(はだしの街社)の次の一節は、今ずしりと響く。

「うつくしい言葉は/量産され/しばらくは遊び 死んでゆく/言葉が死ぬのと同じころ/人も死ぬ/死ぬとき/叫びは空に舞うが/落下する姿を見る者は少ない」(「ただようもの」)