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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2月8日 詩の特別授業第一回in京都朝鮮高級学校

一昨日8日、Image329
京都朝鮮学校で高級部二年のクラスで、詩の特別授業を行いました。
初回のテーマは「詩は投壜通信」。
前半講義で後半実作という配分で進行しました(残念ながら日本語で)。

なかなかきちんと話をきいてもらえた、という感触がありました。
色んな資質の子がまざっている(人数が少ないので二年生は三十人が一クラスです)
高校二年生にいきなり詩の話、というアクロバットな授業でしたが
うまく行った方だったでしょう。
(私は予備校や学習塾で同じ位の年齢の子どもたちに教えた経験がありますが、それと比較しても)

私が考え生徒にも語ったこの授業の目的は次のようです。
「詩だけでなく文章を書くとは、自分を見つめること、そして言葉に向き合うことで、自分を見つめるもう一人を、育てていくことです。
 言葉というのは、これまで生きて死んだ人が、無数の思いをこめて残したものが、私たちまで伝わってきたものであり、読書で言葉の山をどんどん築き、固めていくことができる。そこに自分のもやもやした言葉にならない思いをぶつければ、何らかの答えが返ってくるはず。そのこだまをきくように書いていくという作業をしていこう。人の言葉の力は、自分の築いた言葉の山の大きさで、決まる。とりわけ詩の核となる「比喩」は、この山に埋もれるダイヤモンドでしょう。ダイヤモンドを見つけよう。」

今回のテーマ「投壜通信」は次のパウル・ツェランの一節にあるものです。少し難しいですが、皆大体の内容は理解してくれたようです。
「詩は、言葉の一つの現象形態であり、したがってその本質からして対話的である故に、いつかどこかの陸地に、もしかして心の陸地に打ちあげられるかもしれないという、かならずしも希望にみちているとはいえない信念のもとに託された投壜通信といったものなのかもしれません。詩はこうした点でも途上にあります。詩は何かを目指しているのです。」(パウル・ツェランブレーメン文学賞受賞講演」より)

実作の見本として、「ハッキョへの坂」を朗読しました。
次に技法やその意図などを解説しました。
まさに京都朝鮮学校の生徒達に宛てた詩を、
ご本人たちを目の前に朗読するのですからさすがちょっと気恥ずかしかったです・・。
第一連だけ朝鮮語で朗読したら、
朝鮮語うまいです〜」と後で生徒にヨイショして貰えました。

さて実作。
「〜のあなたへ/きみへ」というタイトルで詩を書いて貰いました。
みんなちょっと恥ずかしそうでした(詩って、詩を書かない人には誰にとってもやっぱり恥ずかしいものなんですね・・)。

女子はけっこうすっすっと詩を書いてました。
しかし男子は数人、白紙のまま俯き悩む姿が痛々しかったです(?)。
冒頭の一行「学校からの帰り道・・」で止まったままのサッカー部員に
手取り足取り詩を作る手伝いをしました。
(悩みつつ真剣に取り組む姿が何だか微笑ましかった。)
総じて男子の詩は「おれ」を叱咤激励する詩。女子は「他者」に寄り添おうとする詩が
多いように思えました。
いずれにしても
高校サッカー部男子に、いきなり詩を書いて貰う!
というのはちょっとアクロバットで新鮮な光景でしたね。
けれど忙しい毎日の中でつい忘れがちな
自分を見つめるという習慣がつくきっかけになれば、というのが
ソンセンニムたちがこの授業に期待するところでもあるのです。
朝鮮学校の生徒は、遠くから通って来る子も多いし、授業にもクラブ活動にも忙しいようです)

最初は「できるかな?」と心配していましたが、
授業の終わりには大部分の生徒が提出してくれました。
まだ添削はしていませんが、ざっと見たところでも
なかなかの力作が散見されます。
これからじっくり読むのが楽しみです。

※写真は2009年12月に初めてこの学校を訪問してクラブ活動を見学した時の
放課後の教室の風景。