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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

辺見庸「瓦礫の中から言葉を」を見て(二)

これから少しずつ
辺見庸さんの言葉をじっくりきき、考えていきたいと思います。

おざなりにはまとめることはできないと思いました。

番組で詩人は、言葉を扱う者としての使命感から語り続けますが、
そこにあるのは決して詩人だけの特権的なあるいは特異的な思いではないはずです。
私たち人間すべてが本当は今思っていることだとおもいます。
私たちはみなホモ・ロクエンス(言葉を持つ者)なのですから、
詩人の思いとは、人間の思いを鋭く代弁するものだと思います。

辺見さんは今回、
故郷を喪失して初めて、故郷の記憶の大きさに気づかされたといいます。

あの魚臭い町がいかに表現を支えてきた土台だったか。
堤防があって、妹や近所の子供や犬と遊ばない日はなかった。
いつも幻聴のようにきこえていた海鳴りを不思議に思っていた
あの荒れ狂った海が世界の入口だったし、授業中も教室の窓から見えていたあの海の
向こうにいつか行くのだと決めていた──

詩人が記憶をたぐりながら語る故郷の原景、あるいは故郷への郷愁と欲望。

辺見さんの低い声音とたぐるような口調に誘われて、思います。
故郷とは喪われて初めて欲望される対象であり、
恐らくだからこそ、私たちは意識せずにそれをつねに欲望しているのではないでしょうか。それはまるで深いエロスのようです。
だからこそ私たちは言葉をもとめ、他者をもとめ、
いつしか異郷さえをももとめていくのではないでしょうか。

中国とベトナムの戦場を見た。
ボスニアの紛争を見た。
ソマリアの内戦も見た。
飢えて死んでいく人たちも見てきた。
私はいつもそこでコスモポリタンのようなものだと、根無し草だと思っていた。
記憶の根拠になるものは本当はない思ってきたが、
今度という今度は本当に思い知らされた──

そのように語る辺見さんの故郷喪失の苦痛は
しかし本当は今、誰もが分かち持っている魂の亀裂ではないでしょうか。
東北はもちろん、東京だって、いいえ西日本だって、例外ではなく
今、自然や人々が危機にさらされているのです。
放射能は途方もなくまき散らされ蓄積していき
地震地震を引き起こしています。
もうどこも安全ではありえない。
日本中、誰しもの故郷が、悲鳴をあげている。
そしてそこにまだ子供のまま生きていた幼い私たちが、ふたたび泣き叫び始めているのです。

今日本を覆いだしている不安とは
そのような根源的な不安ではないでしょうか?

そしてそのような言葉の土台を壊されながらも、いえ壊されたがゆえに
ホモ・ロクエンスとしての私たちには大きな使命が課せられたのです。

3.11午後に一体何が起きたのか、私たちは本当は茫然自失している。
破壊の大きさとあのダイナミズムを表す言葉を誰も持っていなかった。
言い表す言葉が数字以外にないというのは、じつはこんな淋しいことはない。

みんなが望むのは、水や食料や暖房だけではなく
胸の底にまで届く言葉でもある気がする。
頑張る、団結といったスローガンではない。

死ぬまでの間にせいぜいできること、
それはこのたびの出来事をしっかり深く考え抜いて、想像して、
それらを言葉として打ち立てて
そしてその打ち立てた言葉を未完成であれ、死者たち、そして今失意の底に沈んでいる人々に、僕自身の痛みの念と共に届ける。
それが私に残された使命なのではないか──

これら辺見さんが自分に言い聞かせていることはしかし
私たち言葉を持つ者すべてに与えられた使命なのです。
この震災で亡くなった、あるいは言葉をあげられないままの人々が恐らく命をかけて指し示してくれた、人間が生き直す道なのです。