アウシュヴィッツの悲劇をうたったユダヤの詩人、
パウル・ツェランが原爆の詩を書いていたのは余り知られていないと思います。
(ツェランの生涯などについてはこちらをご参考下さい→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%B3)
ツェランの詩には「迫る光」というキーイメージがあります。
それは死の世界と思われる彼方から、吹きつけてきて
この世のものをすべて石と化してしまうメドゥサのような光線です。
しかしこの光はじつは原爆の閃光でもあったのではないか、と今思っています。
石、盲目、死者たちのまなざし、雪、氷、発光する生き物、無機的な事物、気化する海、血、飛翔する小石たち・・・
詩にあふれるそれらのイメージもまたすべて原爆のものだとしてもおかしくありません。
言い換えれば、原爆もアウシュヴィッツも
史上最悪の人間による人間の破壊であり、
どちらも同じ極限的な狂気の光に集約されていくのではないでしょうか。
あるいは両親を強制収容所で殺され、みずからも苛酷な労働収容所体験を持つツェランは、
戦後間もなく原爆について聞き及び、
そして原爆がアウシュヴィッツと同じ人間の狂気の果ての出来事だと直感したでしょう。
次の作品はアラン・レネの『広島モナムール』の公開や、原子力についての国際会議の開催(1956年から58年)など、またフランス国内でも核戦争や核兵器についての話題が世論を賑わせていた頃の1959年に上梓された詩集に収録された作品です。
難解な作品ですが、全体に「白くて軽く」ひしめく光は、放射線がもたらす死の光ではないでしょうか。
「白い」そして「軽い」
パウル・ツェラン(中村朝子訳)
三日月型砂丘、無数に。
風隠れで、千倍に──お前。
お前と、そして腕、
それでぼくは むき出しのまま お前に向かって伸びた、
失われた女よ。
光線たち。それらは一団となってぼくたちに吹き寄せる。
ぼくたちは その輝きを その苦痛を その名前を身にまとう。
白く、
ぼくたちに兆すものが、
重さを持たず、
ぼくたちが交わすものが。
「白い」そして「軽い」──
それをさまよわせよ。
遠いものたち、月に近く、ぼくたちのように。それらは築く。
それらは岩礁を築く、そこで
さまようものは砕ける、
それらは築き
続ける──
光の泡と飛び散る波と一緒に。
さまようものは、岩礁がこちらへ合図を送って。
額たちを
合図して呼び寄せる、
ぼくたちに貸された額たちを、
映すために。
額たち。
ぼくたちはそれと一緒にあちらへと転がっていく。
額たちの岸。
お前は眠っているのか?
お眠り。
海の挽き臼がまわる。
氷の明るさで 誰にも聞こえず、
ぼくたちの目のなかで。