3月1日付の安重根の映画の記事について
知人からメールが入りました。
「『テロリスト』と言う言葉は
侵略戦争・植民地支配を正当化する人間が
武力弾圧を正当化するために
抵抗運動にネガティブなイメージを植え付けるために使用した言葉と思います。
例えば同じ侵略者と戦った人々でも
第二次大戦でドイツ軍の侵略に抵抗したフランス民衆は
『レジスタンス』と呼ばれるのに対し
アルジェリア戦争でフランス軍の侵略に抵抗したアルジェリア民衆は
『テロリスト』と呼ばれるのは不公平です。
『テロリスト』と言う言葉は思考停止をさせる催眠術ではないでしょうか」
たしかにそうだと思います。
抵抗の背景も実態も知らされないまま
私たちが抵抗する少数者のすべてを「テロリスト」と名づけてはばからなくなったのはいつ頃でしょうか。
「テロの恐怖」という言葉を
詩人が詩の雑誌上で当然のように口にするのを聞いたのは
朝鮮の「ミサイル」発射が行われた2009年春。
私としては「ミサイル」よりも
詩人の口からあたりまえのように「テロ」という言葉が出たことの方が
ショッキングでした。
みずからの思考を奪うその響き。
反対する意見に耳を貸さないその語気。
根拠のない他者恐怖を一方的にうみだす負のエネルギーをもった
とても嫌な言葉です。