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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「『パルレシア……』または命がけの比喩という行為──震災以後、詩とは何か」(「現代詩手帖」12月号)

現代詩手帖」12月号にNenkan
「『パルレシア……』または命がけの比喩という行為──震災以後、詩とは何か」
を書きました。                       

「震災以後の詩の言葉」というテーマでの執筆依頼でしたが、
詩は今、「震災以後の」と限定されることはむしろ不可能なのではないかと
私は考えました。

もはや問いかけは直裁的に「震災以後、詩とは何か」でしかないでしょう。詩にも、恐らく最終的な時が突きつけられているのですから。

「パルレシア」とは
古代ギリシャにおいて、哲学者ディオゲネスがこの世で最も素晴らしいものとして絶賛した行為。
何をも恐れず、真実を率直に語るという行為。

私は今、とりわけ詩には、パルレシアという行為
あるいは少なくともパルレシアへの意志が必要だと痛感します。

震災以後、
現実に対する不安と恐怖によってすべてが散文的に、まるで沈黙のように均されている言語状況。
そこから率直な比喩によって
人間的な権利として、自由としての非現実に届こうとすることが今いかに大切であるか。
この論考を書きつつ
自分自身が相当な危機感を持ちながら
詩について考えていることがよく分かったのでした。

「つまり震災以後生まれるべき比喩とはそのように、一人一人の詩と人間への思いの中で、比喩として予感される比喩なのだ。少なくとも私たちが震災後も詩を諦めないのならば、比喩の力による「パルレシア」を試みるべきだ。失われてきた(殺されてきた)比喩という詩的・人間的な次元に、再び蘇生の血を通わせることを。詩=比喩を小さな根拠地として、自分が感じ取った真実を率直に語り、何ものをも恐れず自由にうたうことが。震災以後、そのような詩=比喩の存在自体が、人には奪われてはならない表現と自由の権利があるという主張としての意味を鋭く放つだろう。つまり震災以後の詩とは、「パルレシア」の意志としての詩である。それは震災と原発事故によって、人間としての権利を剥奪されたことを嘆き訴える声と、遙かに共鳴しあわずにはいられないだろう。」