「とても軽い詩のような拙文です。送信するのもためらってしまいます。」と
昨日の雨降る紀州から送信がありました。
私も経験があるのですが、
病を得て気持も弱っている時、
これまでに会ったことのないような人がふいに現れて、
これまでに聞いたことのないような声で
生の真実を告げてくれる不思議。
「寿命」とは
じつは本当はすごい励ましの言葉ではないでしょうか。
話し手は誰
倉田昌紀
話し言葉は生きています
沈黙も間も対人関係の微妙さのなかで生きてきます
人柄も親和力もうねってきます
涙もでます
絶句もします
話し言葉はすぐに死んでもしまいます
言葉の霊は逃げていきます
音質から魂は消え
形式がのさばってきます
言葉数が増えてくるかもしれません
言葉が固まってしまいます
「寿命とゆうものがあるさかいになあ」老婆が励ましてくれます
心を込めて専念して歩まねばなりません
老婆の雰囲気が全身でそう伝えてくれているようです
朴訥な話し言葉は一瞬ぼくの内部でもがきます
そしてぼくは空っぽになってしまいました
話してくれたのはほんとうに老婆だったのか
話し手は誰
話し手がないことはいいことだなあ
話し手があることはいいことだなあ