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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

5月12日ETVこころの時代シリーズ「私にとっての3.11/「奪われた野にも春は来るか」」(1)

5月12日こころの時代シリーズ「私にとっての3.11」はPhoto_5
東日本大震災被災地直後から福島の写真を撮り続けている
韓国人写真家・鄭周河(チョン・ジュハ)氏。
南相馬市で震災二周年に開催された
写真展「奪われた野にも春は来るか」をめぐって
鄭氏の思いと同展のもようを特集したものです。

3.11以後、表現者にとって被災地とは何か。
その何をどのように表現すべきなのか。
あるいは被災地にとって表現者とはどのような存在でありうるのか―
それらの問いかけをめぐって
大震災後福島との関わりの中で思索を積み重ねてきた写真家の繊細な言葉は
3.11以前と以後を本質的に通底させる思考と感受性にみちていて
大変興味深いものでした。

鄭さんは語ります。

自分は何を見つめるべきか。
失意のどん底にいる人々の苦痛や叫びを撮って見せるべきなのか。
南相馬の風景は本当に美しい。
大昔からの四季の風景は変わっていない。
その動かすことのできない本質を見せること―
そして被災地の人々が
ここはどこか?
自分が何を見ながら生まれ育ってきたのか?
ここが本当はどんな場所なのか?
をまっすぐ見つけられたら
自分の写真はより良いものになるのではないか―

「ここが本当はどんな場所なのか」。
それは
奪われて初めてやってきた故郷への慟哭です。
これは震災直後、同じこの「こころの時代」シリーズで
作家・詩人の辺見庸さんが
故郷の石巻について語っていたものと同じです。
そして今回の番組のタイトルともなった詩「奪われた野にも春は来るか」で
李相和が「奪われた野」と表現した
植民地支配下の故郷朝鮮が慟哭そのものであるのはいわずもがなです。

鄭さんは福島を撮る前に
韓国の海岸沿いにある原発の風景を撮っていました。
その写真集のタイトルは「不安、火-中」です。
韓国語の「不安(プラン)」は「火(プル)+中(アン)」。
つまり鄭さんは原発を「火を作る装置」として捉えたのです。
原発の近くに住む人々には正反対の感情が共存している、
と鄭さんは言います。
昼には何事もなく海で釣りや貝を採ったりしている。
しかし夜には原発から夜ごと聞こえて来るうなり声のような音に恐怖を覚えている。
つまり人々は不安を内に抱え込んでいるのであり、
不安は「火」の内側から生まれている。
原発は存在自体が不安なのであり、中と外との境界がなく
一度問題が起これば、外の人も自動的に中へとひっぱりこまれてしまう―

そのように写真を撮る行為においてPhoto_3
対象と自己との関係の中から原発について考えを深めてきた鄭さんが
福島に向かうのは必然でした。

当時、福島の人々の背後に立ち
その考えを貫くようにして見ようとしてきた、と鄭さんは言います。
その思いを共有したいという気持があったのだと。
それは「励ましたい」というのとは違う。
例えば防波堤に置かれていた
木彫りの人形が遠い海を見つめている写真がある。
その視線と海を一緒に
南相馬の人々に見ていただきたいのだ、と。

私は誰もいない風景の中に
この象徴としての「まなざし」を見出した鄭さんは本物の写真家だと胸をつかれました。

また震災後初めて福島に入った時にPhoto_2
案内してくれた人が鄭さんを最初につれていってくれた場所は
郡山の朝鮮学校だったそうです。
誰もいない汚染された運動場のすみに
ブルーシートで覆われた汚染土の山を呆然と眺めていた時、
「本当に福島にいるのだ」と心の底から感じられてきたそうです。