二号機の冷却機能も停止したとのことです。
恐怖を感じます。
しかしそこに住む人々のそれは測りしれないでしょう。
ふとレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
高校生の時に化学の先生に推薦されて読んだ
化学物質による環境汚染への警告の書。
人間が化学物質を野放図に使い続けていれば
生態系が乱れ
やがて春がきても鳥も鳴かず蜜蜂の羽音も聞こえない「沈黙した春」になる。
寓話として描かれていた
「春」の景色がとても恐ろしかったと記憶します。
あとテレビで見たチェルノブイリの原発事故後の近隣の村落の風景。
皮肉なことに、人が住まなくなった分、そこは動物たちの楽園になっている。
ロシアの自然の緑もさらに美しい。
ある家には、危険を承知で戻ってきた村の老人夫婦が住んでいましたが
顔の皮膚がひどい癌に侵されていました。
でも、切ないほど淡々とインタビューに答えていた。
他に行くところがない、ここはいいところだ、と。
最後に引いていくカメラを二人でじっと見送っている場面は
やりきれない思いがしました。
原発の建っている場所はみな
海沿いの素晴らしいところなのだと思います。
そしてそれはそこで生まれ育った一人一人にとっては
かけがえのない故郷であるはずです。
それを一部の人々が、お金を出せば
めちゃくちゃに犠牲にし、徹底的に奪ってもいい、と考えたなんて。
他人の故郷はどうせ他人のものだから
やむをえない場合は
二度と足を踏み入れられない「ゾーン」(タルコフスキー)にしてしまってもいい、と思ったなんて。
故郷に建つ原発を当然の風景に思っていたのならば
それは私たちがいつしか人間の心を失っていた証ではないでしょうか。