#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

「大文字の他者」とはだれか(三)

「いうまでもないことだけど、言葉には実体がない。つまり、言葉は空虚だ。その空虚な言葉でできあがっている僕たちの心も、本当は空虚だ。僕たちが語り合えるのは、言葉を共有しているから。言い換えるなら、おなじ空虚さを共有しているからなんだ。その意味では、言葉は僕たちの社会を支えていると考えることもできる。もちろん言葉は社会そのものじゃない。でも、政治や社会を決定づける僕たちの欲望の、その背後にある存在が言葉である以上、やはり言葉が社会を動かしていると考えるべきだろうね。」

「おなじ空虚さを共有しているから」に傍点を付けて、
斎藤氏は強調します。

言葉が「空虚」であること、
何も実体的なものがなく、
関係性そのものだということ。

この「空虚」をそれぞれの感じ方で自覚しゆくことは、
詩人だけでなく、
今の社会がもたらす閉塞感と孤独によって
苦しめられている人々すべてにとって、
大切だと私も思います。

これがすべてだといわんばかりにおしつけられる
「意味」、
あるいは「イメージ」の重たさによって、
苦しめられ生きがたさを感じさせられる必要など、
ほんとうはまったくないのです。

大文字の他者、それは
言葉だけである言葉
言葉でしかない言葉

その「空虚」の自覚だけが、
「意味」や「イメージ」から逃れられない苦しみ、
そしてそれらによっては防ぎきれない現在の狂気に対し、

「うそだよ」

とはらりと言ってくれる。
鏡の中の自分が自分ではないとふいに気づくように。

「うそだよ」

シニシズムではなく、
この今の苦しみを特権化して自分を追い込まないためのきっと唯一の方途でしょう。

詩とは
そうした「空虚」による連帯、蘇生、解放を
果敢にこころみる使命をもった
ジャンルであるのでしょう。