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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

11月27日「詩をうたう夜」inソウル──『ハッキョへの坂道』+『私の心の中の朝鮮学校』合同出版記念会�A

午後7時となりいよいよ開演です。Soel11
「詩をうたう夜」は
韓国の伝統楽器コムンゴの演奏で始まりました。

朝鮮の琴としてはカヤグムは知っていましたが、棒のようなもので弦をはじくコムンゴの音色は初めて聴きました。
聴く者の身体の奥深くを叩き起こすような何と力強い音でしょう。
演奏に合わせて書が始まりました。
墨汁のしたたる音さえも音楽の一環のようで不思議でした。
壁に貼られた紙に木が描かれていきます。
ふと赤い花が咲き、映像の蝶が飛び始めます。
何と美しい書と映像の交感でしょうか。
こんなアートもあるのだと感動しました。 

描き上げられた花咲く木の前でSoel9_2
まず私と許玉汝さんが朗読をしました。
私が読んだのは「ハッキョへの坂」。
次に許玉汝さんが「ふるさと」。
両者とも『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』の作品です。
そして最後は二人で許南麒のコラボ朗読です。
集会で呼ばれ朗読する時のいつものレパートリーです。

しかし、私にはソウルに入ってから
これまで以上に感慨深いものがありました。
ここまで来たんだな、という胸を衝くような気持。

「ハッキョへの坂」は
2010年3月に無償化除外への憤りと悲しみを抱き
京都朝鮮学校への坂道を歩いてのぼった時の何とも言えない気持が
おのずと詩となっていった作品です。
坂をのぼった翌日、その時は出会えなかった新入生たちの幻が湧き
花吹雪の舞う心象風景を言葉にしたのでした。
なぜ桜だったのか─。
その前年の年末、初めて同校を訪問し民族舞踏のクラブを見学した時
花かごを提げて踊る少女たちの姿が
かつて見た映画「桜の園」を思わせたという記憶が蘇ったからです。

見学者である私たちの前では満面の笑顔だった少女たちが
舞踏が終わるとふいに呼吸を荒くし疲れた表情に変わりました。
本番ならば舞台裏であるはずのそれを垣間見たとき、
私は深く胸を衝かれました。
たまたま連れられてきた朝鮮学校のことはまだ殆ど知りませんでしたが、
この生徒達にはただならぬ精神の美しさがあると直感したのです。
のちのち
その美しさは苦悩によって磨かれてもいることを知ったのですが。
(苦悩によって磨かれる美しさとは
詩の美しさそのものなのです。)

前置きが長くなりました。Photo
そんなこんなを身の内から滲むように思い起こしながら
私は朗読会の舞台に立ちました。

「ハッキョへの坂」の朗読はまず初めに
第一連を朝鮮語で読みました。
もちろん発音には全く自信はありませんでしたが、
素人の即席の読みでも、何度か練習しているうちに
翻訳の朝鮮語の響きの美しさが分かってきて
いつしか空で読んでいました。
とりわけ「ピッ」(光)や「パンチャギンダ」(輝いている)という言葉が美しい。
日本語で読むのとは違う光が見えてくるようです。
そんな光に導かれるように
何とか第一連を読み終えました。
そして日本語の原詩をタイトルから読み始めました。

読み進めるうちに
目の前の二百名ほどの観客の殆どが
朝鮮学校の生徒と同じ朝鮮民族であることが
おのずと意識されてきました。
たとえ私が朗読するのが日本語であっても、
この詩の心象風景の中にある
少女の姿や花吹雪や先生の微笑みや学校の建物やグラウンドの風は
どうしても伝わってほしいと願いました。
あるいはきっと伝わると確信しました。
私なりの願いをこめて
これまでにはない思いの底から声を発したとおもいます。
「ハッキョへの坂」はもう何度も人前で朗読をしてきましたが
この夜が一つのハイライトとなったと思います。

そして次の許さんの「ふるさと」の朗読はCa13774m_2
私以上の思いがこめられたとおもいます。
同じ民族である人々の胸へ
在日としての自分の来歴と思いをうったえるという
大きな意味合いのあるものであったはずです。

二人での「これがおれたちの学校だ」の朗読も
教室の割れた窓ガラスから吹き込む北風に耐えながら
母国語を学ぶ子供たちの息遣いまで
間近に感じ取れるようなリアリティがこのときはありました。
不思議です。
朝鮮学校の子供たちのことを知ろうと真剣に耳を傾けてくれる朝鮮民族の人々が発する気のようなものが
詩の中からこれまでにない何か深いものを呼び起こしたのでしょうか。

以上長々と書いてしまいましたが
それだけ自分には万感の思いがあったようです。
これまで朝鮮学校の無償化除外に反対する活動をいくつも重ねてきましたが
いつまで経っても政府も文科省も本気で取り組もうとはしない。
そのことに対する怒りや悲しみが複雑化、重層化していけばいくほど
無意識に押し込め沈黙していくものがたくさんあったようです。
(私でさえそうなのですから
朝鮮学校の生徒や関係者の方々の重苦しさはいかばかりでしょうか…)
そのおしこめられていたものが
このとき声になることができたのだと思います。
日本語の通じない韓国の人々の前でこそ。
本当に不思議です。

私たちの朗読の後は
愛沢革さんの朗読、朝鮮学校卒業生のチャンゴの舞、同じく同校出身の任キョンアさんのチェロ演奏と映像のコラボ、「冬のソナタ」の次長役で有名な俳優クォン・ヘヨさんのトークなど、素晴らしいプログラムが続くのですが、もう紙幅が尽きました。
広島からいらっしゃった河野美代子さんがブログに詳しく書かれていますので
ぜひご一読下さい→ http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/