昨日私が乗っていた新幹線が止まる寸前、
この世から消えていったはかり知れない数のいのちがあったのでした。
京都に引き返すために飛び乗ったこだまの窓ガラスには
闇の中にふりだしたこまかな雨の無数のしずくが
速度をおそれるかのように
かすかにふるえながらも
ガラスにけなげに止まり小さなビーズのような光を放っていました。
その時、それらひとつひとつが
ひとのいのちであるかのように感じられました。
たとえようもなくはかなく小さく美しくいとおしいもの、を見つめていました。
いのちの消えるとき、
人はその人生のすべてを瞬時に思い出すといいます。
昨日14時46分
消えようとしていたいのちのひとつひとつは
どんな痛切で甘美な真実をみて
どんな狂おしい叫びを叫んだのか。
今も息絶えようとするいのちがあります。死者の数は刻々に
膨大にふくれあがりつづけています。
生き残った者が
まるで生き残ったことを詫びなければならないほどに。
今私にできることは、
一抹の不信をもふりはらい
祈りがかなうことを信じその「叫び」に向かって祈りをこめることだけです。