辺見庸『瓦礫の中から言葉を─わたしの〈死者〉へ』(NHK出版新書)。
今詩を考える上で鋭い洞察と大きな励ましを与えてくれる一書です。
3.11以後、この社会をあからさまに覆いだしたメディアを中心とした空疎な言葉たち。
だがじつはそれ以前から言葉と実体は離れ、主体的な深さを喪失していた。
震災後の状況はそれをはっきり証明したに過ぎない。
しかし言葉の空洞化ほど人にとってつらいことはない。
「複製不可能な、他にはない、まったく希有な、ドキドキするほど鮮やかな、はじめての言葉とのであいと感動を、この社会はなぜ必死で求めないのでしょうか。」
言葉に対する関心の低下は、人間への関心の薄らぎである。
震災後、言葉の主体がいきなり集団化し
震災前の言葉の空洞化はとどまることなく進行していく。
(あんなに人が死んだのに。こんなに人が悲しんでいるのに。)
「言葉はいま、言葉としてたちあがっていません。言葉はいま、言葉として人の胸の奥底にとどいていません。言葉はいま、自動的記号として絶えずそらぞらしく発声され、人を抑圧しているようです。」
そう、今人がつらいのは、言葉に見放されているから。
語れば語るほどどんどん見放されていくから。
これは今このときの人の心の空洞化を
3.11に故郷を喪失した自身の空洞のただ中から撃とうとした
詩人の魂の「私記」です。
しばらく追っていきます。