先日、文芸同の会合に出た翌日18日に
大阪朝鮮第四初級学校を見学させていただきました。
入口の自販機の前で、
校長先生が汗だくになって、空き缶潰しをしていました。
同行していた野樹さんはそれ見て
「いっぺんにその学校を好きになった」そうです。
うーん、私もその若い男の校長先生の
笑顔好きだなって思った。そして同時に学校の財政の深刻さがしのばれました。
この学校では先生も子どもたちも親たちも、
みんなが挨拶してくれます。
校舎は古いけれど
この学校には「みんなと共に生きていく」という笑顔がみちている。
そして色がみちています。
トイレの前にも朝鮮のきれいな布がかけられてあったり
教室に入れば教材や壁の絵や民族衣装の鮮やかな色が
こちらの目を覚まさせてくれます。
授業風景も見せていただきました。
算数や図工などの授業です。
本当に安い給料でがんばっている若い先生方の熱意が
少人数の子どもたちの魂にダイレクトに入っていくのが
後ろから見ていてもよく分かりました。
本日の朝日新聞の記事末尾にある、山田という准教授のコメントはまったく間違っています。
「朝鮮学校の卒業生は、特定の政治的な立場を教えこまれており、日本社会で生きていきにくい」
特定の政治的立場とは、
一見金正日体制のことを意味するようにも思えます。
しかし何度となく見学した朝鮮学校の授業で
私はそのような体制礼賛など見たことはありません。
恐らくこの「政治的立場」という言葉の真意は
朝鮮人の立場から近現代史を教えていること、そのことをこそ指すでしょう。
この国の臆病な人々にとっては
それは大変不都合らしいのです。
朝鮮人が植民地主義の暴力をいまだ糾弾していることが。
朝鮮学校がこの国の暴力的な歴史の証人であることが。
「その人たち」は真実と向き合う勇気がないので
朝鮮学校を反日と短く切って捨てるわけですが、
しかし真実と向き合えない者こそが
正確な意味で反日ではないでしょうか?
またコメントで
「日本社会で生きにくい」とありますが
歴史についての真実を認めず
朝鮮人が生きにくい社会にしているのはこの国の政府ですよね?
そしてもちろん
朝鮮人が生きにくい社会は日本人も生きにくいのです。
朝鮮学校での民族・母国語・歴史教育は
朝鮮人にとって心の柱です。
誰もが生きにくい日本社会のただなかで
朝鮮人が生きていくためには
けっして失うことはできない故郷ともいえるものです。
(『アンソロジー』の許玉汝さんの作品を読んで下さい)
そして日本人にとっても朝鮮学校は他者を知る大切な現場です。
私たちが日本人として誇りを持って生きるとはいかなることかを
逆照射してくれる貴重な鏡なのです。
私たちはそのような朝鮮学校を
この社会の歪んだ側面を反映する一独裁者の意向から
護らなくてはなりません。