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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

なんどう照子『夜の洪水』(ドット・ウィザード)

今、私のまわりの詩人女子(?!)の間でImage1184
ひそかな感銘を呼んでいる詩集です(発行所はドット・ウィザード)。
(写真では、表紙の色が上の方が光の関係で黄色がかっていますが、本当は濃紺が濃くなっています)
私も12月に手にしていましたが
年末年始の慌ただしさにまぎれていて
昨夜初めてじっくり向き合いました。

すごくいい詩集です。
ひとことでいえば時間の詩集だと思います。
時間というイキモノを見事にとらえる
たしかな言葉の力を感じます。

子供の成長、生の実感、日常の情景、社会の出来事、交わされる言葉、交わされない言葉
マンションの生活音、水の流れ、木々の揺らぎ、空のうつりかわり・・・。

揺らぐもの、変化するものを「しっかりと」とらえるというのは
矛盾していますが
その矛盾が果敢に詩にむかって放たれているのです。

作者は苦難の人生を生きながら
たしかに詩を生きているのだと分かります。
このことがすごいと思うし、「詩を生きる」というのは
じつは私自身もひそかに志していることです。
あとがきにある
「日々が詩に生まれていた」
というのはまさにそのことを言っています。
「詩が日々に生まれていた」のではないのです。

どの作品を引用しようか迷いました。
生活の情景を描いたものもすぐれていますが
ここでは「鳥�T」を。
昨日このブログで「空」のことを書いたあとで
この作品がふと滲むように目が止まりました。
ちなみにこの作品に
「鳥はどこで死ぬのだろうか」という一行がありますが、
不思議なことに私もかなり以前、
「鳥はどこで眠るのだろうか」という詩句を記したことがあります。

鳥�T

鳥の詩を書こうとしている
鳥の死
鳥はどこで死ぬのだろうか
駅のプラットホームをわがもの顔に飛びかう鳩の群れ
夜明けのごみ袋を漁る小賢しいカラスたち
夕暮れ時の駅スーパー前
いっぽんの木立ちに喧しくすずめらはねぐらの場処とりに忙しい
勤め帰り さえずりのやかましさに思わず見上げる
あの鳥たちの群れなす死を思ってみる
テレビニュースでみた
海岸に大量に打ちあげられるさんまほどに
不用意な鳥たちの死を目にしたことがない
車にあてられて
フロントガラスに突拍子もない形で突っ込んだあと
天を仰いで道に落ちた鳩の姿に胸を打たれることがあった
鳥はけれどくらしのなか どこで老いたからだを終えるのだろうか
何千、何万という鳥の死骸を誰も知らない
人知れずおだやかに終える鳥の死はあたりまえのこととして
忘れてしまったほうがいい
そんなことを詮索しているひまはない
白日 死んでいくものは
空にはばたきながら 鳥ではないと告げられて
凍りついて
飛ぶことを 突然やめてしまった小鳥のようなこども
真新しいインクのにおいのたちのぼる朝刊の三面記事や
くたびれる夕方、七時のニュース
テレビ画面をよこぎって落ちていく
こどもの大量の死が 殺されていく
こんな世間の波うちぎわがある
にえたぎるはらわたを天にむけてさらしてみても
よるがきて
きりきりと魂のきしみがなりやまない
鳥の詩を書こうとして まだ
鳥の詩が書けない
鳥の死
鳥はどこで