広島と東京の朗読会を無事終えて数日が経った今、
私は満足感と虚脱感のないまざった
エアポケットに入った気がしています。
準備段階から刻々とすぎていった時間の細部にいたるまで
鮮やかに思い出せるというそのこと自体が、何だか切ない。
今は
生徒達が帰ったあとの
学校の下駄箱がただ並んで夕陽に照らされる玄関のようだ、と思う。
これはどういう気持なのだろう。
なんだか色々思い出します。
たとえば京都朝鮮中高級学校での新聞の取材に同行したとき、
「サムル」の詩を書いた勇成君がふと私に近づいてきて
ちょっと真剣な面持ちでこう訊いた時のこと。
「僕達の学校、どう思われましたか?」
私は答えました。
「とてもなつかしいなと思う。出身校でもないのに」
勇成君は笑ったけれど
この学校を初めて訪れた時から私はそう感じていた。
それは
学校のクラシカルな建物の作りが
私の中学や高校時代を思い出せたということもあるけれど。
先生や生徒たちの心の温かさに
私たち日本人が失ってしまった人間性を感じ取ったからでもあるけれど。
何か深いふかい魂の奥から
学校のすべての風景をみている自分がいた。
あれは誰だったのだろう。
東京朝鮮高級学校で見せて貰った日本語の教科書にあった
中野重治の「雨の降る品川駅」。
頁から古い雨が匂いたつようだった。
廊下で詩の朗読の試験を受けていた男子生徒の後ろ姿。
遥か昔からそこに佇んでいるようにも思えた。
誰だったのだろう。
どこだったのだろう。
私は朝鮮学校を知ることで
自分自身の不思議な魂の中に入り込んだのではないだろうか。