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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

気になっていた赤い空・麻生三郎展

今日、京都国立近代美術館へ麻生三郎展を観に行きました。Image1204
没後10年を記念した展覧会です(東京から巡回)。
新聞記事で見て、前から行きたいと思っていました。

シュールレアリズムでもなく写実でもない
独特の手法と絵画観を持った画家です(1913−2000)。

新聞記事の写真で惹かれたのは
赤い太陽が浮かんだ赤い空。

赤い背景に埋もれかけた人物と風景に
ただならぬ気配を感じImage1203
とても気になっていました。

今日、初期から晩年まで
画家のいのちの変転と苦悶そのもののような
色と質感と筆致を見ながら、終始揺さぶられていました。

初期はその後にあらわれる不吉な赤がちらちら現れながらも
写実的です。

反骨的な画家は
戦時中も靉光(あいみつ)たちと一緒に三回も展覧会をひらきます。
その時点では家族を描いたり、暗いながらも具象的です。

しかし戦争が終わった1950年代になると
背景に人物が埋もれ始めます。
そして「赤い空」シリーズが生まれます。
私が気になっていた絵もその一つです(写真上)。

赤いからこそ重い空。とても重い。
朝鮮戦争、アメリカの核実験、震災や空襲の記憶。
空の重さが
鋭敏な画家の精神を圧しつぶし始めたのです。
画家はこの頃記しています。

「この空の層のあつみのなかにわれわれをおしつぶす力がひそんでいる」

ちなみにこの展覧会では、
各時期ごとに、象徴的な画家の言葉が掲示してあり
それがすごく触発的でした。(あとで売店で著書を買い求めようと思ったら、完売でした。)

その後どんどん具象性がなくなってきます。
背景も人物も事物も混沌とまじりあっていきます。
しかしよくよくみると、目があったり、人がいたり、家があったりする。
けれど気を逸らすとすぐにみえなくなります。
それがむしろ「絵が生きている」という感じを
こちらに与えました。不気味なほど。

「あなたは私の絵と対話できますか、対話しなくてはなりません」

絵にひそむ画家の声がきこえてくるようで
どの絵にも長いことひきつけられました。

圧巻は
1961年に描かれた
日米安保闘争で亡くなった樺美智子さんの死を悼んで描かれた「死者」(写真下)と「仰向けの人」。
どこに死者がいるのか判然としませんが(目をこらすと死体のようなフォルムが見え隠れします)
だからこそ、画家の魂にふきあげた哀悼が
今も平面に閉じ込められたままだと分かるのです。

そして1963年に描かれた「燃える人」もすごかった。
これはベトナム戦争に抗議して焼身自殺する僧に触発されたもの。

麻生はデモにも参加したそうです。

つまりこれらの絵の非具象の混沌にあるのは
自分自身も肌身で感じた、一人のひとの生存に
否定を圧しつけるものへの「拒絶のフォルム」(画家自身の言葉)です。

拒絶はかたちにならないものです。
「フォルム」とは平面や立体といった空間形式ではとらえられないもの
むしろこちらを「つかむもの」ではないかと
ふと思いました。

晩年までくると、たちくらむほどのすごい光の雨があらわれます。

何か、自分の苦しみを一緒に背負ってくれる絵に出会った
と思った展覧会でした。