#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

みなさんはどう思われますか

寺岡良信さんから以下のコメントが投稿されました。とても考えさせられるいい内容なので、本欄にアップさせていただきます。今回の朝鮮高級学校の(当面の)除外という結果が、どのような意図でなされたものであるか、よく理解できるのではないでしょうか。この文章にみちる怒りは、けっして一方的なものではありません。かつてのご自身に対する怒りであり、明日そうであるかもしれない自分への怒りでもあります。私も今回の結果にはたしかに悪意を感じています。しかしさらに本当の悪があると思います。それは、「それは私の悪ではない」と、私たちすべてにかかわるはずの悪の現場を、何も考えず通り過ぎることだと思います。またすぐれて現在的な詩的感受性もまた、今日の結果を「間違っている」と魂の底から感じることから生まれると私は確信します。みなさんはどう思われますか。(河津)

                **************

 高校無償化法案が衆院文部科学委員会で可決された。だが私たちが強く願っていた、朝鮮高級学校を対象から除外しないということについては、第三機関を設置して検証することが決まった。若者たちが学ぶ学校という場を、まるで違法や犯罪の疑いのある組織・施設に見立て、立ち入って調べるという姿勢自体、予断や偏見を前提にしたもので不快極まりない。なぜ首相や文科相が学校現場を訪れ、生徒や先生や父母たちと膝を交えて話し合うことをしなかったのか。おそらくは一方に拉致問題と無理やり関係づけようとする強硬意見があり、他方に私たちのような意見があり、そのはざまで、政治家たちは一見中立を装った、もっともらしい「第三機関」なるものを思いついたのであろう。
 私は、金日成前主席や金正日総書記の顔写真があるかどうかの詮索や、教科書の一部だけを見て反日教育でないかどうかを判断するだけに終わってしまいそうな、「第三機関」による「検証」などではなくて、民族差別を許さないという視点に立脚した確かな世論の形成こそが重要な鍵になる思う。なぜ日本に朝鮮学校があるのかという、歴史的想像力と洞察に支えられた牢固とした論理と、不条理を見逃さない心情を、多数の世論形成へと繋げていかなければならないのだと思う。
 今朝の某新聞を見て、そのすさまじい反朝鮮学校キャンペーンにぞっとした。
 そこには北朝鮮朝鮮総連朝鮮学校がイコールで結ばれていて、総書記の意向を受けた朝鮮総連幹部が各学校に「無償化を勝ち取れ」と檄を飛ばしたと、それこそ鬼の首でも取ったかのように、下品で煽情的で、かつ蕪雑な文章で書かれていた。これはもう、朝鮮高級学校の生徒のみならず、民族の矜持を保ちつつ、日本社会の市民として共に生きてゆこうと、真剣なまなざしで様々な困難に堪えている在日の若者たちへの、悪意以外の何物でもない。
 胸に手を当てて考えよ。
 韓国併合条約のいかさまと総督府支配の野蛮とを。創氏改名を、神社参拝や日本語の強制を。
 昔高校で習ったことを少しでも思い出せ。
 あの虐殺を生んだ関東大震災の流言蜚語を。「犬と朝鮮人お断り」と墨書きされた不動産屋の張り紙を。「線路の枕木一枚に朝鮮人の死一つ」の言葉を。
 断わっておくが、私は強制連行を拉致と相殺しようなどというつもりは全くない。
 拉致と教育とをいっしょくたに論じるな、北朝鮮を攻撃するキャンペーンに、何の関係も責任もない生徒たちを巻き込むなと言っているのだ。朝鮮学校がなぜ彼らに必要であったのかを、マイノリティーがその尊厳を守るために学ぶ民族教育の、権利としての普遍性とともに想起せよと言っているのだ。
 尊厳を回復することは差別する者への闘いでもあるから、彼らが歴史を語るとき、その言動がときとして鋭利な刃物のように映ることもあるだろう。そのことをいちいち「反日」だと騒ぐな。それは歴史に対する度し難い無知か、横着な開き直りである。
 私は偉そうに物を言っているのではない。
排除の論理」はかつて私の裡にも存在したし、今も私の意識下で息をひそめているかも知れない。某新聞の記事にぞっとしたと、書いたが、そこに映し出された悪意はかつての私であり、明日の私かも知れない。
 この薄氷を踏むような思いを踏まえて、しかし私はより多くの人に、日本人の良識に訴えていかなければならぬと思う。繰り返し言うが、世論が鍵である。今日本人の立ち位置が試されている。内省と洞察と豊かな想像力に裏打ちされた、確かな世論を大きく広く形作ってゆきたい。 (寺岡良信・詩人)