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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

辺見庸『国家、人間あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社)�@

辺見庸さんの新著『国家、人間、あるいは狂気についてのノート』(毎日新聞社)を
読みました。Kokka 

「すばる」2月号の小説「青い花」と共に
昨今の自分が抱え持つ、浮遊するようなうっすらとした不安や絶望に
確かな重みを与え、降り立つべき底を示してくれた一書でした。

ここにあるのは「敵」を撃つために研ぎ澄まされた言葉です。
「敵」とは政治家や世俗的な人間といった具体的な存在を超えて、
今私たちを諦めさせ抵抗を放棄させ外部に対し閉じさせている
私たち自身の思考回路そのものです。
いいかえればそれは
生命を失って記号と化してしまった言葉の回路です。
辺見さんの言葉は
痛みと真摯さと美しさ、そして何よりも既成の言葉や思考を踏み越える勇気によって
閉ざされていた回路をひらいてくれます。
言葉によって胸底の生命力は掻き立てられ
このような時代になお生きんとする力がどのようなものかを
身の内から知らされていきます。

言葉の力とはまさに生命の力なのだ、とあらためて実感しました。

少しずつ内容を追っていきたいと思います。

今この国では
不気味な深層が表層を突き破ろうとしています。
新たな災厄や戦争が始まる予感さえします。
本著の冒頭では指摘されるのは
メディアが総力をあげて隠す「日本的情念の古層」です。
情念の発動には恐怖と快楽の脳内回路の短絡が関わる、
と辺見さんは述べます。
二.二六事件の首謀者もまた
「あの快感は恐らく人生至上のものであらふ」と記したその情動は
今「ファッショ的紋様となって表土にあらわれている」。
それに応じるように
人や事物からアウラ(=「ひとがただよわせる名状しがたい気配)が
どんどん失われていく。
政治家は勿論、アートからも言葉と声からも。
もはや全ては本質から脱落した「スメグマ」(恥垢)のごとく。

次のような痛切な叫びは、
まさに今の私のものでもあると感じます。

「こころみに自問してみよう。わたしは、わたしたちは、いったいなにをしたいのだろうか。なにをしたくて、いま生きてここにあるのか。なにをしたくて、いままで生きてきたのか。なにを見たいのだろうか。なにを見たかったのか。今日のこの日を見たかったのか。」(「狂気の輻」)

「言葉ははたしてつうじてきたのか。言葉はとどいているのか。とどいたことがあったのか。とどいたふりをしてきただけではないのか。わたしは、わたしたちは、いったいなにをうたってきたのか。これからなにをうたいのか。」(同上)

「わたしは、わたしたちは、死人であることにさえ慣れきってしまったのではないか。わたしは、わたしたちはせめて狂者であるとみとめるべきではないのか。わたしは、わたしたちは、狂者か半狂者であることをわすれている。 」(同上)↓
                              
なにかをしたくて生きているのだ、と偽りの欲望を疑わない人々―
言葉はつうじていると、関係性を幻想するにんげんたち―
今、みずからを狂者とさえ認めない死者である生者たちが、
おぞましい死者の夢を見ているところです。
そしてその夢のとおりに、現実の泥がこねあげられていくのが今の悪夢のような
前ファッショ的な社会のメカニズムです。

そのような正気のふりをする狂気の現実に対し
もっとも有効な抵抗の方法は、じつは実相を突きつけることなのです。
英雄ペルセウスが怪物メドゥサに鏡を見せて石化させたように
現実に対し狂気という実相を像として突き返すことこそが
もっとも根源的で有効なのです。

この著で次々突きつけられる実相は鮮烈です。
現在の、互いに相争いおとしめあい
破滅へ突き進む民衆や市民の狂気のあられもない姿には
狂える「輻(や)の群れ」というイメージが突きつけられる。
それは見たこともない圧倒的な光景、
しかし未来でもあり古代でもあるような根源的な「真景」です。

「わたしはここで、光る輻(や)をイメージする。空無の宙を、気のふれた磁波として翔けるおびただしい輻。民衆、人民、市民とは、甑(こしき)から遠くはずれた、方向をもたない輻。無我夢中で無を翔ける輻。血迷い、眩み、眼がかすみ、渇き、しかし、ひとの痛みをもはや痛まない、わたしは、わたしたちは狂える輻である。」(「狂気の輻」)

「おれはおれを、おれというイカレた光で、一閃、二閃、刺し殺す。だから暗視機能つき監視カメラで狂気の輻を二十四時間監視せよ。高性能レーダーを準備せよ。戒厳令をしけ。迎撃ミサイルを用意せよ。天翔ける輻の群れを撃て。撃つなら撃て。」(同上)

「おいおまえら、そこをどけ。どかないと、おい、おまえたち、おれはおれというからだで、おまえらを無差別に突き刺すぞ。ビュービューと天翔けていき、正気ぶる、賢しらぶるおまえらの、眼を、首を、心臓をぶすりぶすりと刺しつらぬいてやる」(同上)

「「多分、いつか人々は狂気がどんなものでありえたかが、もうはっきりわからなくなるだろう」という、その「いつか」が、すでにきていることに、わたしはわたしで、おもいいたすのみである。」(同じ上)