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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ヤスミラ・ジュバニッチ監督「サラエボ、希望の街角」

ヤスミラ・ジュバニッチ監督「サラエボ、希望の街角」(2010年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ=オーストリア=ドイツ=クロアチア映画)を見ました。Image1396_2

新聞や雑誌で大きく取りあげられていて、ずっと見たかった映画。
京都シネマで上映されています。

久しぶり正当派的なヨーロッパ映画をみたなあという印象です。
正当派的といっても、ヤスミラ監督は36才の若さ。
2006年のデビュー作「サラエボの花」は金熊賞を受賞。

ストーリーです。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ
航空機の客室乗務員のルナは
性格は明るく、友人も多い。
恋人のアマルと同棲している。
仕事に恋愛にと充実した毎日を送っている。

しかしかつての紛争で、
ルナは目の前で両親を殺され、アマルは過酷な戦場を経験し弟を失った。
平穏な日々を過ごしながらも。
じつは戦争のむごい記憶を二人とも拭うことができない。

二人は愛し合っていて、子どもを望んでいる。
だがなかなか妊娠できず人工授精を薦められる。

ある日、アマルはアルコール依存症のために勤務中に酒を飲み
停職処分となる。
不安定な精神状態の中、厳格なイスラム教徒となったかつての戦友と出会い、
仕事を世話されたことを機に、宗教に傾倒していく。
ルナは信仰に急速にのめりこむアマルとの距離を日々実感し
悩み苦しむ。

そのような迷いのさなか、
ある日、ルナは妊娠を告げられる。
アマルは生んで欲しいというがルナは迷っているといい
ついに彼に別れを告げる。

以下はこの映画についての私の感想ですが
映画をまだ見ていない方にはなかなか読みづらいかもしれません。

まず歴史との関係でいうと
宗教に傾倒するアマルと、彼の変化がルナや周囲に及ぼす不安から
内戦によるこの国の傷の深さをつよく感じました。

1992年4月から3年半の間に
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
人口約435万人のうち
死者20万人、200万人を超える難民・避難民を出したといいます。

その精神的な傷を、アマルは宗教によって埋めようとしたのです。
ルナは愛によって埋めようとしましたが、不可能でした。

一方で旧ユーゴスラヴィア社会主義国ですから
宗教は否定されていたはず。

すると世俗的だったアマルの変化は
押し殺していた宗教への衝動が解放されたからなのでしょうか。

いずれにしても恋人たちは
戦争によって同じ深さの傷をそれぞれ抱えながらも
それを互いの愛を深めることによって共に癒す道は選べなかったのでした。

アマルはルナとの愛よりもイスラム教という宗教を選びました。
そのことはじつは私にも大変身勝手にも思えました。
ルナの方はアマルを何とか理解しようとしていましたから。

しかしアマルはどんどん勝手に
自分の宗教的な衝動を優先して、ルナを振り回します。
ルナもまた両親を失った傷を抱えているのに
アマルは自分の救いのみに走り、彼女の悲しみは置き去りにします。

そしてある時ルナは
アマルの友人と幼い第二婦人との結婚式を目撃してショックを受けます。
それがアマルとの別れをルナに決心させました。
ルナの眼にはその結婚式は
宗教という名目による男の女への裏切りと映ったのです。

ルナがまだよりを戻そうとするアマルに別れを告げたのは
性急で間違いだったのかもしれません。
現にルナの中にはアマルの子がいるのですから。
しかしだからといってその事実にひきずられて
もはや同じものを見ていないアマルと生きていくことは
希望ではないのです。
アマルはもはやルナをイスラムの妻としてしか見ていない。
だからルナは自分自身の希望を見つける
別の道を歩いていかなくてはならなかったというわけです。

この映画は
国の歴史と個人の記憶という時間の要素と
男と女という要素、宗教と世俗という要素がみつどもえにからみあい
見る者に濃厚な思考を誘う、秀作でした。