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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

中国吉林省・延辺朝鮮族自治州をめぐって�C8月21日後半

午後は、
延辺大学漢語科元教授・崔吉元さん(写真右から二人目)を囲んで
私たちのホテルの部屋で小さな茶話会をひらきました。

崔さんと丁章さんはImgp0402
十九年前から交流を続けてきました。
丁章さんが詩人尹東柱の墓前に捧げる詩を携え延辺へ初めてやって来た時、
崔さんを含めた朝鮮族の詩人、作家、文学者たちが、
「在日同胞の若い文人がはるばる訪ねてやってきてくれた」と暖かく歓迎してくれたそうです。

丁章さんはエッセイで次のように書いています。
「南北分断政府のいずれにも属さずにいるために、はらからの半島への立ち入りを拒まれている私にとって、中国朝鮮族文人たちに受け入れられたことは、二十歳になるまで自分の民族名も名のれぬほどに恥多き在日を生きてきた私が、ようやくルーツへのつながりを許されたような、そのような安堵を私に与えてくれた。そのとき以来、中国朝鮮族の人々とその地は、私にとっての『また別の故郷』となった。」(「中国朝鮮族の詩」)
そう、丁章さんにとってこの朝鮮族自治区は、国家を超えた「また別の故郷」。
すでに六度訪れているそうです。
崔さんと丁章さんが語り合う様子は
古くからの師弟のように互いに対する信頼と敬愛を感じさせました。
お話を少しずつ伺っていきました。

崔吉元さんは1927年天津生まれ。
五歳の頃北京へ。
日本の尋常小学校と中学校で日本語による教育を受けます。
そのため今も崔さんは驚くほど流暢な、美しい日本語を話されます。
私たちとの会話ももちろん日本語です。
歴史的な事実を思い返せばそれは痛ましくも思えるのですが、
しかし崔さんの日本語の美しさは
何かとても尊いものにも思えました。
崔さんが日本の文化や文学への敬愛があって日本語を大事にされてきたということが、その日本語の端正さに窺えるようでした。

ただ、高校生受験の話になると、ふと崔さんは口をつぐみました。
うつむいてとても辛そうな表情になりました。
しばらく沈黙した後、言われました。
「成績はトップだったのに試験にことごとく落ちました。これが差別だと痛感しました。」
そこで初めて反日感情を抱いたそうです。

その後、就職しますがふたたび学問を目指します。
44年北京大学に入学しますが、
翌年光復軍への参加を決意し各地を密かに転々とします。
戦後1946年には国民党に逮捕されますが、
共産党が北京を包囲すると崔さんも解放されます。
その後共産党青年団などで働き、
やがて50年に延吉へやってきます。
ここで「延吉市言語専門学校」の中国語の教師になるのですが、
この学校はじつは朝鮮戦争に必要な通訳を育てる所だったといいます。
朝鮮戦争が休戦すると
延辺大学に勤め、やがて漢語科の教師に就任します。
しかし次に文革の嵐がやってきました。
70年には一家で下放されますが
しかし73年に林厖が亡くなると多くの知識人が農村から都市に戻るのと共に、
崔さんも延辺大学に戻ります。
その後4人組の統制も凄かったということです。
4人組打倒後、崔さんは副教授となり、その後教授となり、以後退官して今に至っています。

以上のようにまさに歴史の激動に耐え抜いてきた崔さんですが、
今の日本については大変憂慮されていました。
「一体日本政府は何をやっているのでしょうか。尖閣諸島の問題を蒸し返すこと以外、何も出来ないのですか。中国が�ケ小平の遺訓に逆らって、尖閣を奪おうとすることは決してありません。」
日本の戦前の暗黒時代を知る崔さんだからこそ、
今の尖閣問題の本質をも鋭く見抜いていると感じました。
そして右翼的な世論を盛り上げようとする石原慎太郎の意図も。
この崔さんの意見は恐らく多くの中国人にも共有されているばです。
ホテルの部屋で見たテレビ討論会でも
尖閣問題にどう対処すべきですか」と質問した若者に対し、
共産党幹部が「日本が強行するなら戦争の準備も辞さない」(テレビ画面には漢字の字幕が出るので大体の内容が分かりました)と言っていたり、
観光地でさえも「日本などに負けるものか」と息巻く人がいたり、
石原都知事尖閣介入は恐らく日本の私達が想像している以上に
中国の人々に負の衝撃を与えてしまったようです。

そして
かつての日本による植民地支配の爪跡を心に残されている高齢の人々には
どれだけ恐怖と不安と悲しみを与えているか…
それは崔さんの言葉や表情からも見て取れました。
石原氏は知っているのでしょうか?
自分の言動で自分と同年齢の相手国の人々が苦しんでいることを。
それとも中国の人々のことなどどうでもいいと、
さらには中国にいる日本人はどうでもいいと思っているのでしょうか。
きっとそうかもしれません。
そして自分の沽券のことしか考えていないのでしょう。
血に飢えた政治家たちが再び爪をたてようとしているのは
あの岩ではなく、
じつは日中にこれまで築かれてきた友愛そのものなのではないでしょうか?

病身を押して私達に会いにきてくれた崔さんの優しさと誠実さには
胸をつかれました。
それは日本の私たちが中国の歴史や人々の心を知らなすぎることに対する
痛恨の気持とはりあわせになった痛みでした。
人や歴史を知らずして
領土だけを取りざたするなんて全く無慈悲で倒錯してるのではないでしょうか。

さて、崔さんが帰られた後は、Imgp0406
万龍珠さんとお食事会です。
すばらしくおいしい参鶏湯をいただきました。
 昨年私が韓国で食べた参鶏湯は、お肉がとろけるように柔らかかったのに驚いたのですが、今回の参鶏湯は肉がほどよくしっかりしていて、また別なおいしさがありました。松の実やナツメや朝鮮人参も入っていて薬効もありそうでした。

食後、愛沢さんと丁章さんと私とで
夜の延吉を散策しつつ「二次会」へ。
といっても中心街から外れていたせいかなかなかいい店が見つかりません。
参鶏湯のあと焼き肉屋に入るのもなんだかなあと思っていると、
ふと目に止まったネオンサインに
なんと「あばれるねこちゃん」というひらがなの日本語が。Imgp0408

私が興味を引かれて二人を誘導しお店のある二階に上がると、何とそこには延吉にはあるまじき?「カワイイ」ワールドが展開していました!応対する店員さんも耳にピアスの草食系です! へえーっと思いました。

歩き疲れていてよく考えずひものれんをかき分けて座った窓際の席は気づけばカップル用の上席で、壁には恋人たちの愛の誓いが一杯ピンで留められていました。
まるで村上春樹の小説に出てくるみたいな空間…
お客もおしゃれな若者ばかり…
酔いも手伝い、次第にここがどこの国が分からなくなりました。
「こういう若者やこういう空間がどんどん増えれば
世界は平和になっていくんですよね…」
丁章さんがふと呟いた言葉には、冗談めかしつつも深い実感がこめられていたのでしょう。

それから私たちはImgp0407この国家をひそやかに超えたこの小さな空間で、
海の向こうに残してきた国家を超えられない国の非情について語り合いもりあがっていき、
いつしか夜は更けて気づけばすんでのところで午前零時!!
丁章さんが娘さんと約束した「門限」まであと少しです。
慌ててタクシーを捕まえて何とか滑り込みセーフ、という一日でした。