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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

詩の欲望は3.11へ向かって(三)

3.11という表現は、恐らく9.11に擬せられています。
そのようなアナロジーを安易だとして抵抗を感じるひともいるでしょう。
震災の悲劇だけに限ればそれは天災によるものだから
テロと同一に論じるのはたしかに誤りであるし、
不謹慎だという気持があるのも当然です。
それは十分分かります。

けれどだからといって
被災の光景に、かつての戦争がもたらした焼け野原を重ねて見ることは
決して間違っていないと思います。

そのような戦争とのアナロジーを
たとえば戦後左翼的な思考パターンにはまったものとして冷笑する論調が今あるとすれば
私は承認できません。
そのような冷笑主義にのっとり
歴史的、社会的、思想的な奥行きをあらかじめ欠いた、素朴な心情だけを臆面もなく吐露する「震災詩」を称揚していいものでしょうか。

戦争とのアナロジーを語る文脈が
たとえ旧弊な「戦後左翼的」な文脈に過ぎないとしても
またそのことばが画一的で観念的であり、今回の事態の実相を掬い上げられないとしても、それが時代遅れであるからといって、あるいは硬直しているという口実をもって
一方で「今」のうすっぺらな書き割りしか背景に持たない詩の方を
現在的価値があるとして称揚するのは間違っていると思います。

なぜ、3.11を歴史的に見ることを忌避するでしょうか。

この震災による犠牲者の多くは
「今」しか見ようとしない非歴史的な経済成長神話の中で
津波の危険があるにもかかわらず無理に開発した住宅地に居住していた人々ではなかったでしょうか。

また、原発の起源には、
無謀な戦争の結果この国が蒙った原爆という最大の歴史的凶器があるのではないでしょうか。

そして今回の過酷事故は、
大きな津波地震を「想定外」と正当化し
歴史の教訓に学ぶ謙虚さを忘れたから起こったのではないでしょうか。
電源喪失対策などを怠っていたのは
人のいのちを無視し、未来からも過去からも目を背け
ただ場当たり的に原発マネーの獲得に狂奔した結果ではなかったでしょうか。

つまり今私たちが見ている瓦礫の光景には
この国の非歴史性の歴史が多重露出しているのではないでしょうか。

もちろん瓦礫の原を見て
安易に無媒介的に「あれは戦後の焼け野原と一緒だ」と断言してすますこともまた
間違っています。
しかしだからといって瓦礫の原を
「天災によるもの=自然によって作られたもの」という狭い視野に閉じ込めて
この国ならではの非歴史的な価値観におもねるように
被災の風景を
諦念や悲哀感の演出のためのうすっぺらな「書き割り」として利用するのは
まったく間違っています。

そのような間違いを犯している詩や詩論がもしあるとすれば
今回の震災による犠牲者に対してだけでなく
かつての原爆犠牲者や戦死者たちをも冒?していると思います。