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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

7月11日付朝鮮新報文化欄「冷たい闇の一隅に灯った温かく美しい時間─モンダンヨンピルから手渡された真っ白な心」

去る6月22日に行われたモンダンヨンピルチャリティーコンサートについての記事を書きました(ちなみにこのブログでもコンサートの直後に記事をアップしています→  http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/06/post-682a.html

7月11日付朝鮮新報文化欄
冷たい闇の一隅に灯った温かく美しい時間
              ─モンダンヨンピルから手渡された真っ白な心
                                     河津聖恵

 6月22日、東京の中野で「モンダンヨンピルチャリティーコンサート」が行われ、私も足を運んだ。三時間近くの公演となったが、共に歌い手拍子を取り、笑いと感動のうねりに身を任せて、またたく間に時は過ぎた。単にイベントに参加したというのではなく、自分自身にとって大切な体験になったと思う。

「心の銃を下ろそう」

 モンダンヨンピルは、東日本大震災で被災した朝鮮学校を支援する韓国のアーティスト集団。今回のコンサートは活動の最後を飾る公演である。詳しい内容は本紙で紹介済みだが、私もまた、生徒達の美しい合唱と素晴らしい民族舞踏、心を揺さぶるロックにダンスにフォーク、合間ごとの俳優権海孝氏の優しい人柄あふれるトーク、そしてラストの、生徒も壇上に上がっての大合唱に、魂を揺さぶられ続けた。開場の前から長蛇の列を作っていた観客の一人一人の思いが、歌と音楽に触発され、熱気となってあふれて会場に満ちていくのを感じた。
 コンサートの間ずっと様々な思いがよぎった。舞台の背景に映し出される日本語字幕と通訳のいくつもの言葉が、小石を投げ入れるように心をざわめかせた。「朝鮮学校を知ることは、自分達の歴史を知ること」、「心の銃を下ろそう」、「平和の共同体を作っていこう」─生徒たちへのエールであるそれらは、私の中へもつよく差し込んできた。
 恐らく多くの観客もそのように感じたのではないか。3時間熱気に包まれながら、1200余人の一人一人の脳裡には、朝鮮学校が無償化から除外されてからの歳月が、走馬燈のように蘇ったのではないか。何度も文科省に要請に行き街頭で訴え、希望を抱いては打ち砕かれた日々。そこで痛感させられたこの国の人間性と愛の欠落。その一方朝日に新たに生まれた友愛と連帯の喜び。だがある時は出来事の重さに耐えかね、全てを諦めてしまおうとしたことも…。
 モンダンヨンピルもまた、韓日を行き来しながら、無償化除外を撤回させるために力を尽くし、生徒達と痛みを分かち合ってきた。残念ながらいまだ朝鮮学校に対する理解が進まない韓国で、かれらが活動を続けながら味わった苦労は、想像を超えているはずだ。だがこの夜かれらはひたすら強く明るく、私はただ圧倒された。その歌声も笑顔も、「人間的な力は必ず勝利するのだ」という確信のオーラを放っていた。舞台の前に座る生徒達へ、自分らしく生きることの素晴らしさを全身全霊で伝えていた。私の中にもいつしか不思議な魔法のように、もう一度頑張ろうという勇気が湧き上がった。

「恥ずかしくなりました」

 じつは私はずっと分からないでいた。なぜ韓国の人々が、朝鮮学校にこれほどまでに思いを寄せるのか。昨年私は、権氏の『私の心の中の朝鮮学校』と『ハッキョへの坂道』(『朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー』のダイジェスト・朝鮮語版)の、ソウルでの合同出版記念会に朗読者として参加した。その際、無償で出演したアーティストの熱演に感動し、かれらが口々に、朝鮮学校の素晴らしさを賞賛するのに感銘した。だがそれだけにかれらをもっと知りたいという気持が募ったのだが、その機を逸していた。
 だが今回のコンサートで、かれらの情熱のありかに、私も一緒に降り立つことが出来たと感じている。それがどんな心の次元なのかは、この日に合わせ日本語版がHANAから上梓された『私の心の中の朝鮮学校』の権氏の言葉が、繊細に語っている。「この子たちは、なぜここでウリマルを習っているのだろうか? どんなに大変だろうか? どんなに心細いだろうか? ただ、恥かしくなりました。」本書に繰り返されるこの「恥(プクロム)」は、朝鮮学校を知らなかった自分を責めるというより、朝鮮文化を守ってくれた学校と生徒に対する感謝と尊敬の感情である。それは、まさにあの詩人尹東柱が詩で表現したような、朝鮮民族の真っ白な心そのものだ。むしろかれらは、子供達の姿に触発されることで、それを思い出したのである。さらに、韓国ではもはや「時代遅れの流行歌」のように忘れられていた朝鮮半島の統一への願いも、新たにしたという。そのように豊かで繊細な感受性に支えられた清冽な倫理感が、モンダンヨンピルの活動を支えている。

「新たな旅は始まっている」

 ひるがえって思う。日本人である私は、かれらに「なぜ支援するのか」と訊かれたらど答えるのか。かれらの「恥ずかしい」に相応するものは、私にも確かに存在するが、それを表現する言葉はいまだ見出せていない。新たな感情を名指すその言葉を、生徒達の姿に触発されることで、模索していかなくてはならないと思った。
 あの夜、この国の冷たい闇の一隅にぽっと灯った温かく美しい時間は、いつまでも心を照らしてくれるだろう。モンダンヨンピルが手渡してくれた真っ白な心を胸に、新たな旅は始まっている。