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詩空間

河津聖恵のブログ。この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

9月3日付京都新聞朝刊 詩歌の本棚・新刊評

9月3日付京都新聞朝刊
詩歌の本棚・新刊評
                                                     河津聖恵

 中野敏男『詩歌と戦争』(NHKブックス)は、大震災後の詩と社会の関係を考える上で興味深い。一般に抒情詩人として名高い北原白秋。彼はなぜ軍国翼賛の主力詩人となったか。同書は史実を駆使した精緻な論証によってその謎に迫る。衝撃的なのはその詩が、無垢で美しい抒情(=郷愁や童心)によってこそ「総力戦への民衆の心情動員」に寄与した事実だ。「要するに、童心が本来持っていたはずの母や自然への優しい思慕を想起し、自分(たち、日本人)はもともとこうだったのだと確認すること、そうすることによって、その『外部』と接触して傷ついた心はあらためて安心できる場を見出し、癒されていくというわけです。」これと似た「癒し」が今の詩にも求められていないか。ならば人は何にどのように傷ついているか。抒情が一概に悪いとは言えない。だが自らの傷と真に向き合い、旧来の抒情を振り払って未来へ打って出る新鮮な言葉を生む努力をつねに忘れてはいけないのだ。
 金子忠政『蛙の域、その先』(土曜美術社出版販売)は、大震災によって世界と自らの心が受けた傷に真向かうというより、まるで蛙のようにするりと逃げる傷を追うようだ。言葉の苦しげな息づかいが聞こえる。だが傷を追うがゆえに、喪失感の重さから解放されている。ここに旧世界に対する郷愁はない。痛みによって仄光る新しい抒情を掲げ、言葉によって言葉の先(たとえそこが闇であっても)を目指す意志がある。
「きさま、/燃焼しうるものは/嘘をついている/俺の中の不純物/燻ろう、燻ろう、だけ、/そのだけを、懸命に/かつがつの息をついで/もう一息/はぁ、はぁ、はぁ/夜気が気管にしみ入り/青白い月がつきまとう/靄の立ちこめた夜に/「絶句せよ、絶句せよ」と/また鳴く/不眠の青蛙/(路上に引き出されるべき屍はどこにある?)/召還は/くびれたか細い手足が/食い散らかされた肉片か/あるいは/裂かれた声のようになり/舗装路にすり込まれて/はじめて始まる/息への/一瞬の/息への/一瞬はすかいの/接触/ぺたん、ぺたん/白日、もう跡形もなく/踏み越えられないものを踏み越えてしまう/不眠の青蛙」(「蛙の域、その先」)
 浜本はつえ『斜面に咲く花』(コールサック社)は、福井に住まう著者が、越前の海の潮騒に触発されながら過去の時間を辿り直す。経時的な詩行の運びは、しかし郷愁をまとう回想ではない。「流されても自分を見失わないための目標物の浮きを確かめるよう」に、過去は一つ一つ静かに昇華されていき、未来に向かう意志のように硬い煌めきを放っている。
「無数の漁り火が/まき散らした宝石さながら/日本海に/銀座の夜のように浮き上がり/華やかに光り輝く//越前沖に集結した船団は今/一年振りに水平線上に/午前零時の蟹漁解禁明けに供え/出揃う時がやってきたのだ」(「出漁のとき」)
 川地八千惠『ひだまりえくぼ』(編集工房ノアは、リズミカルなシュルレアリズムによって、現実の闇や痛みを昇華というより「記号化」し、夜の底に軽やかに転がすことに成功している。
「澱んだ夜の裂目にむかって/深海魚のように泳いでいくと/幾重にも 幾重にも 堆積した/いかりやかなしみが/鎮痛消炎なフランネルにつつまれ/あんいりねんころ飴の/とろけていくような/うねりにたどりついた//闇のすそを/蟋蟀や鈴虫たちが/きりさいなみ/笑いころげている」(「夜の裂目」)