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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

ツェランの海へ(一)

今日、ツイッターに呟きました。Image1332

私は今書かれている震災詩よりももっと、非情な詩が書かれるべきなのではないかと思う。今、それでもなお生きる私たちの内奥の、何ものも壊し得ない孤独を結晶化したような。たとえパウル・ツェランの詩にも比せられるような、何か。

孤独の結晶化としての詩を想っています。
そのような詩のあり方に思い及んだのは、
直接的には、破壊し尽くされた外部に対し新しい内部を築くという、
魂の生存の方向性を、辺見庸さんの仕事に指し示されたことによってですが、
しかしそのような孤独への渇望は
遙かから私にも準備されていたように思います。

孤独といっても、未知の、強靱な孤独です。

そのような渇望を感じて今日
ツェランの詩論集を久しぶりめくりました。
四半世紀前に出された本です。

しかし、驚きました。
ここに書かれている言葉はすべて、
今この時に詩を書く者のために書かれていたのではないでしょうか。

ツェランは大きな暗い雲のように立ち込める絶望の中から
稲妻のように小さく鋭い悲鳴のような希望として
言葉を発しています。
詩について語っています。

正直言って、これまでツェランについては、
私は無意識的に
そのシュールレアリズム的な技法に視野を限定してきたようです。

強制収容所で両親を失い
労働収容所で強制労働に従事したことから生まれたトラウマや迫害妄想や絶望を
本気で感じ取ろうとする覚悟はありませんでした。
これからこそ、その絶望と希望のせめぎあいを
私自身のものとして、見つめなくてはならないと思っています。

有名な箇所を引用します。

「それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました。そうです、すべての出来事にもかかわらず、しかしその言葉にしても、みずからのあてどなさの中を、おそるべき沈黙の中を、死をもたらす弁舌の千の闇の中を来なければなりませんでした。言葉はこれらをくぐり抜けて来、しかも、起こったことに対しては一言も発することはできませんでした、──しかし言葉はこれらの出来事の中を抜けて行ったのです。抜けて行き、ふたたび明るい所に出ることができました──すべての出来事に『ゆたかにされて』。」

あのような震災の後でも
今なお私たちは語り、書いています。
しかしそれは
ツェランの言う「死をもたらす弁舌の千の闇」をくぐり抜けた
強靱で、未知の孤独に鍛えられた輝く石のようなものでは
まだありません。
その強靱で未知な孤独から他者へと握手のためにのばされた
真実の手ではありえていません。

そのような石と握手である新しい言葉を
自分自身の内部にあなぐっていかなくてはならないのです。

(断続的になるかもしれませんが、ツェランの海を少し泳いでみようとしています)