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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

土本典昭『原発切抜帖』(二)

上映後の
映画評論家の木下昌明さんの話も大変興味深かったです。

原発の事故のあと
歴史的に埋もれていた記録映画が息を吹き返した。
例えば亀井文夫の『世界は恐怖する─死の灰の正体』(1957)
マリアン・デレオの『チェルノブイリ・ハート』(2003)
そしてこの『原発切抜帖』(1982)

しかしこの映画は、危機感の薄い当時は
木下さんでさえ眠くなったそうです。
青森の漁民に見せたら、ほとんどの人が眠ったといいます。

けれど木下さんは今度見て
当時の土本さんのつよい危機感を感じ取り驚いたそうです。
二十年後、三十年後を警告していた映画なのです。

以下、木下さんの文章からです。
「初めは水俣病映画をつくっていて、そのナレーションの資料として記事を切り抜くことを思いついた。そこで、水俣病の記事ばかり切り抜いていたが、そのうち環境汚染問題から原発問題へと関心が広がっていったという。」

「土本はどこかで『記録しなければ事実もない』と語っていたが、ここではその第一前提が記事を切り抜くことだった。切り抜いて、それを自分の世界に引き込んでくることだった。」

「最初、土本は普通の原発ドキュメンタリーをつくるつもりだったらしい。そのために原発のある地方を歩きまわったが、原発関係者と接触しても警戒心がつよく、近よれなかったという。そこで記事だけの映画づくりを思い立ち、原発問題にくわしい高木仁三郎に監修を依頼し、ナレーションには、中学時代一年下だった俳優の小沢昭一に頼んだ」

「なぜ新聞記事だけに限ったのか。一般に記録映画といえば、誰にも知られていないことを撮るのに力をそそぐが、ここでは反対に誰もが一度は目にした記事を取り上げたのだ。それによってみたはずなのに忘れてしまっている、そんな記事に焦点をあてて逆に記憶を喚起させる。そのこで忘れていた『現実』を意識化させる。」

「このように『原発切抜帖』は、核エネルギーでは銅貨の裏表である原爆・原発に関するあらゆる事故や問題を網羅しているが、それが雑多でありながら同時にいまのフクシマ問題と重なっている・響き合っていることだ。」

木下さんも語っていましたが、
土本さんはすごく行動派で、観客と一体化して映画を作ろうという作家でした。
水俣では「巡海映画」といって、
不知火海沿岸をめぐりながら上映会を開き、患者さんに見てもらい、感想をきき、また。
それを製作に生かしていくということを繰り返したそうです。
その思想には、武井昭夫さんの「読者を組織化する」という考えの影響があります。
つまり誰のための、何のための映画か、という意識で
対象に迫っていくという撮り方ですね。

私はこのような土本さんの姿勢にはとても共感します。
私自身の、紀州をフィールドワークして『新鹿』や『龍神』の詩を書いた二年間も、
どこか土本さんと同じ方向性を私なりに模索したのではないか
などと、色々思いを巡らせているところです。