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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2月9日京都朝鮮高級学校朗読会「あなたへの想いを言葉にのせて」

先週9日の土曜日、Dsc00610_2
京都朝鮮高級学校で朗読会がありました。
昨年2月から11月までの三回にわたり同校で行わせていただいた
詩の授業のメルクマールとしての記念イベントです。

ちなみに去る1月24日には
第四回目の授業を中級部三年生を対象に行いました。
比喩という詩の力の根幹を作る技法を中心に入門的な話をし、
実作としては福島から避難された方の絵を見ながら
原発事故の苦しみに思いを馳せて書いてもらいました。

また高校生を対象にした三回の授業で生まれた作品は
先生方が写真のような美しい冊子にして下さいました。
「あなたへ」(他者に宛てた詩)二冊と「ことば」(言葉をテーマとした詩)一冊。
あらためて読み直すと、生徒達のテーマとの真摯な向き合い方に心打たれます。
他者と言葉は、詩にとってまさに主題そのものです。Photo_2
この授業と実作の経験をとおして
誰もがもつ詩というものの力を
少しでも実感してもらえたならばうれしいと思っています。

そして今回の朗読会。
朗読とは詩の力を声としてあらわす、思いを声をのせる、という試みです。
書いた詩は、必ず声にすることが必要だと私はずっと思っています。
詩はそもそもうたであり、言葉とは音声なのですから。
でももしかしたら忙しいハッセンたちに負担をかけるんじゃないかな。
あるいは恥ずかしいのに無理に読んで貰うんじゃないかな。
とやや不安に思ってもいたのですが、
それはまさに杞憂でした。
ひとりひとりの生徒がそれぞれの清冽さでりんと胸をはり
堂々と思いを声に乗せてくれました。
本当に真剣に詩を書いてくれていたのだということが こちDsc00633_2らの心にダイレクトに届く声から伝わってきました。

この朗読会に向けて先生と生徒さんとで
何度もリハーサルを行ったそうです。
この学校の誠実でひたむきな気質を感じます。
先生方は授業を行う際もいつもきっちり準備をして下さり、
毎回本当に気持よく思う存分授業をさせていただいています。

これからも同校で授業を行う予定ですが、
恐らく毎回同じテーマをぐるぐるめぐるのだと思います。
詩とは何か。
比喩とはなにか。
他者とは、言葉とはなんだろう。
この世にはそうした根源的な問いかけが存在すること自体を伝えたい。
私自身もともに考える中で
そして生徒さんたちの反応を見て
多くのことを学んでいくと思います。

それでは最後に、当日朗読された詩の中から一作を。

君へ
              呉星澤

ありがとう
君にはその言葉しかでてこない
今の僕があるのも、君のおかげだから・・・
君はいつも見守ってくれてたね
母のように時には父のように温かく、
そして厳しく見守ってくれた
落ち込んだ時には友のように手を差しのべてくれて、
雨降るように涙が止まない時は優しく、
ただただ抱きしめてくれたよね
ありがとう
君がいてくれたから僕はいるから
君のおかげで素敵な仲間に出会えたから
桜舞い散るころ友と出会い、君と出会い
半袖で遊びまわった頃も
色変わり行く木々達を眺め
降る雪に凍え身体寄せあった日も
君と僕らは、同じ季節を過ごし同じものを見て感じて
いつも一緒に歩んできたよね
僕らがそうしたように先輩達も、後輩達も
そうしてきたんだろう、そうして行くんだろう
君は僕にとって数少ない帰る家
安心して帰れる家
何年かしたら君はいなくなるのかな?
ちがう
幾年も僕らを、僕達を見守り育ててくれたように
これからも君は頑張るんだろうね
僕らにしてくれたように
どんなに歳をとって、見栄えが悪くなって、
姿が変わっても、君は君だから

もう別れか、今までありがとう
そしてまた会おう。
今度は僕が、僕らが君へと恩返しをするよ
何ができるかわからないけど
いつの日か、
かならず・・・

【付記】
なお私は先日文科省へ下記のようなパブリックコメントを送りました。
ご参考までに。

「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律施行規則の一部を改正する省令案に反対します。この改正によって、朝鮮高級学校が法的に排除されることになります。自民党が同校の排除方針を打ち出していますから、明示されていなくとも、今回の改正が同校の排除のためであるのは一目瞭然です。
 しかし自民党文科省、あるいは政治と教育は、別物であるはずです。政治による教育への介入などという憲法違反行為を文科省が率先して行うようなことがまかりとおってしまえば、社会の根本的な部分が崩されてしまいます。さらに、子供を大人たちの外交や政治の失策の犠牲にするというのは本末転倒です。当然ですが私達大人は、この社会を、子供という財産がまず何をおいても煌めく社会にしなくてはなりません。この国を、どんな民族の子供も、それぞれの知性の成長と感性の深化を理不尽に妨げられることなく、育まれる国へと進歩させなくてはなりません。その不断の努力こそが、広い視野と長いスパンに立つ国民の義務であるはずです。そしてマイノリティこそは、そんな社会や国を切望しています。朝鮮学校の生徒も先生も、そう強く願っています。そして文科省こそは、そのような願いを最も手放してはいけない教育行政の主体ではないでしょうか。
 重ねて言えば、高校無償化法に対抗する規則改正をすることで、朝鮮学校を排除するのは、憲法違反です。国民への背信行為です。しかも朝鮮学校はすでに十二分に情報を開示しています。同校はこの三年近く、文科省が同校に何度となく課してきた無償化(支援金支給)までの書類手続きを、不備なく果たしてきました。むしろ情報開示すべきは、当時の政府関係者の側ではないでしょうか。2010年2月になぜ、前年末にすでに文科省が予算化していた同校の無償化を、一拉致大臣の発言がひっくり返すことができたのでしょうか。当時の中井拉致大臣や鳩山首相こそ、その経緯を説明する責任を決して免れないはずです。
 文科省は当初同校について無償化方針だった筈です。大臣の政治的な見解によって教育の普遍的な理念がねじ曲げられることは、貴省の存在意義を疑わしくさせるほどの事態ではないでしょうか。
 以上の理由から、省令案を撤回することをつよく求めます」