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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ハッキョ(三)(「東柱を生きる会」オプショナル・ツアー)

戦後直後京都市内には在日の方々によって自主的に朝鮮語を学ぶ学校が作られたそうです。それらは朝鮮戦争前に「朝鮮人学校閉鎖令」で閉鎖されますが、やがて在日の方々の努力で再建されました。 その一つがこの学校です。木造はやがて今のコンクリートの校舎…

ハッキョ(二)(「東柱を生きる会」オプショナル・ツアー)

私たちを何人もの先生や生徒さんが出迎えてくれました。校長室で金校長先生にご挨拶。まずお茶をいただきました。「二月なので高校三年生はいないので中学を中心に見ていただこうと思っています」二月ってそんな時期だったんですね。忘れていた。 色んな学年…

ハッキョ(一)(「東柱を生きる会」オプショナル・ツアー)

「東柱を生きる会」の翌日丁章さん、愛沢さん、阿曾さん、陸橋さん、南堂さん、蔭山さん、朴さん、私の八名で、銀閣寺近くの京都朝鮮中高級学校を見学させていただきました。李さんのご紹介と学校の方々のご厚意によるものです。 映画「パッチギ!」の舞台…

尹東柱の詩碑献花式のご案内

(コメント投稿されたイベント告知です) 2010年2月13日(土) 午後1;00〜5;30 6;00〜 交流会(寒梅館1F)場所 同志社大学今出川キャンパス (地下鉄 今出川駅下車すぐ) 西門から入ってすぐ 左 詩碑 前 献花式 詩碑前 講演 多胡吉郎 作家(元N dvjH…

東柱を生きる会(四)

一昨日の「東柱を生きる会」は会の後に書いていただいたアンケートの感想を読んでも皆さんとてもよい印象を持ってくれたようです。来て下さった方々が好意的だったことはもちろん、ゲストの熱意と主催側の思いもありましたが、しかし初めての会が滞りなく行…

東柱を生きる会(三)

会は金清子(キム・チョンジャ)さんのカヤグム演奏から始まりました。朗読はまず「序詩」。韓国からの留学生の朴僖珍(パク・ヒジン)さんと中島和弘さん。朝鮮語と日本語による、混声の掛け合いです。僖珍さんの暗唱の朝鮮語は、不思議な音楽のようでした。お二人…

ご挨拶(「東柱を生きる会」(二))

昨日の会冒頭での私の挨拶原稿です。 ヨロブン、アンニョンハシムニッカ?皆さん今晩は。今日はお寒い中ありがとうございます。詩人の河津聖恵と申し上げます。「東柱を生きる会」の主催者を代表してご挨拶いたします。ちなみにこのチマチョゴリは奏者のチョ…

「東柱を生きる会」(一)

昨夜、京都の同志社大学新町校舎近くの会場「be京都」で「尹東柱を生きる会」第一回を 開催しました。 詩人たちの東柱への思いをこめた朗読と、 愛沢革さんの東柱の故郷を訪れた時の貴重なスライド映像と講演、それから直前にお声をかけたにもかかわらず、…

雪はすきとおっている

「京都は不思議なことに空気が冷えるだけで雪はほとんど降りません。」と書いたばかりですが、昨日6日は京都も雪がたくさん降りました。 羽毛のような雪が一片一片浮かぶように落ちてくるのを見るのは久しぶりで、ふとかなり前にこの「浮遊感」に心うばわれ…

一年前の2月6日はお燈まつりでした。

昨日は全国的にとても寒い一日だったようです。京都もこの冬はたしかにとても寒いのですが、不思議なことに空気が冷えるだけで雪はほとんど降りません。 しかしもう立春を過ぎました。 陽ざしの色も陽ざしの下の人も物も影も少しずつ春へと和らいでいるよう…

初チマ・チョゴリ

初めてチマ・チョゴリを着ました。カヤグン奏者の方のご厚意で、試着させていただきました。7日のファッション・リハーサルです。 着るのはもっと難しいかと思ったのですが、 チマ・チョゴリは大変懐の広い衣服で、生地も透けていながらしっかりしていて、…

「スチウンダ」(「東柱を生きる会」に向けて)

「東柱を生きる会」第一回の準備を、今、中心メンバー十数名ほどで、鋭意進めております。初の試みですので、設営など限られた時間でてきぱきやれるかどうか、多少こころもとないところもありますが、東柱とこの会への各自の思いがうまく補い合い、いい会に…

「大文字の他者」とはだれか(三)

「いうまでもないことだけど、言葉には実体がない。つまり、言葉は空虚だ。その空虚な言葉でできあがっている僕たちの心も、本当は空虚だ。僕たちが語り合えるのは、言葉を共有しているから。言い換えるなら、おなじ空虚さを共有しているからなんだ。その意…

大文字の他者とはだれか(二)

大文字の他者=シニフィアン=象徴界。斎藤氏によればそれは意味を生み出すものではあっても、意味そのものではないといいます。 「ラカンはたとえば、こんなふうに考えた。こころは言葉でできている。そして、言葉にはもともと意味などなく、ひとまとまりの…

「大文字の他者」とはだれか(一)

分からないながら私は今、「大文字の他者」という存在(あるいは概念)に、何かとても興味を惹かれています。 斎藤環さんの『生き延びるためのラカン』(バジリコ)は、著者が日本一易しいラカンの入門書と自負するように、とてもわかりやすい本でありながら…