2023-01-01から1年間の記事一覧
12月23日の講演会のポスターが完成しました。8日頃から公民館で電話or来館受付です。1950年代「荒地」最盛期に田村隆一と鮎川信夫が住み、サークル詩もさかんだった詩の町くにたちに、ぜひご参集ください。 この講演会をとおして、「いま詩とは何か、どんな…
12月23日の講演会のお知らせです。よろしければぜひ!(8日頃から国立市公民館にて電話or来館受付です。)くわしくは下記の広報一面をご覧ください。 現在、四苦八苦しながら準備中です。内容は何とか定まってきました。『荒地』、『列島』、サークル詩をとお…
今年は戦後を代表する詩人、田村隆一の生誕百年。田村の石礫(いしつぶて)のような物質的な言葉からは、今なお新鮮な反戦感情がまっすぐに立ち上がる。「わたしの屍体を地に寝かすな/おまえたちの死は/地に休むことができない/わたしの屍体は/立棺のなか…
詩が分かるとはいかなることか。書き手は自分にも分からない心の動きを、詩表現によって捉えようとするが、大切なのは、分からなさをそのまま伝えることだ。心の動きを解き明かして書けば、詩は魅力あるものにならない。全て分かると確信して読めば、詩の魅…
「現代詩手帖」9月号に詩「破片」を書いています。このところ書きついでいる連作「鏡」のうちの一作。今、戦後詩がいい頃合いに焼けたパンのように、自分の詩への未知の飢えを触発しています。その不思議でもあり必然でもある心の状態を、鏡の中に入る境地で…
夏に入り、戦後詩を代表する「荒地派」の再読を始めた。戦死者への思いがこもる同派の隠喩はかつては難解だった。だが今は肌身に迫る。七十年ほど前の若き詩人たちの先鋭な危機感が、現在のぼんやりとした危機感を遥かに照らし出し、形を与えてくれるのだ。…
たかとう匡子『私の女性詩人ノートⅢ』(思潮社)は12人の「女性詩人」を取り上げた詩人論集。私も「〈女性詩〉とは異質な流れから」という副題で取り上げていただいている。第一詩集『姉の筆端』から『夏の花』までの流れが丹念に辿られています。私が、女性詩…
「ふらんす堂通信177号」は受賞特集。私も第41回現代詩人賞受賞詩人として、詩「ピエールとリュース」(連作「鏡」)とエッセイ「現代性という躓きの石」を寄せています。両者ともに、現代詩に固有の「全く別の現代性」を探る試みです。現代詩には近づく戦争の…
『詩人会議』8月号に詩「鏡IIーオルフェ」が掲載されました。戦争をしない、させないという特集にそった内容です。今ウクライナでの戦争からもたらされる、過去と未来が相互に映し合うような感覚をもといにして、連作を試みています。戦争と鏡という二つのモ…
私たちは日本語と日本の風景に、常日頃空気のように親和している。だが詩は、感受性の力でそこに違和を持ち込むことが出来る。日本語が異語のような面白さや不気味さをあらわし、風景が新鮮で危うい異貌をおびるとき、詩はポエムを超えて、現代性と世界性を…
テーマを設定すると、詩は不自由になるようにも思える。だがテーマを持たず思うがままに書くと、何を書いても自由であるがゆえにかえって迷いゆきづまることがある。テーマで詩に負荷をかけることはもっと試みられていい。テーマにどう抵抗し親和するか試行…
愛知県の西尾市岩出文庫から、『詩人茨木のり子とふるさと西尾(増補版)』をご恵送いただきました。 ふるさと西尾の暖かな空気と、昭和という時代の光と影の記憶の中で、この国が生み出した最良の詩人と再会する喜びを感じています。 作品、テーマ別の解説と…
今、人間の声がどこか聞こえがたい。胸の内から自分の思いを誰かに届けようとする真率な声の響きが、巷間(こうかん)から消えているように思えてならない。しかしだからこそ詩が存在するのであり、必要なのだと思う。ちょうど半世紀前、石原吉郎は詩の本質と…
詩は世界の闇や混沌を言葉によって造形するものだー『高良留美子全詩 上・下』(土曜美術社出版販売)を読みながら思った。一昨年亡くなった詩人が、逝去直前まで改稿を重ねた本書は、初期詩篇から今を鮮やかに撃つ。思春期に敗戦を迎えた詩人は、戦争を繰り返…