鈴木志郎康氏が亡くなった。1960代から70年代、無意味な言葉と身体性で日常と体制に挑み続けた「極私的ラディカリズム」の詩人である。半世紀前の言葉を読み返しているが、それらがなおアクチュアルなのに驚く。コロナ禍や戦争の文脈が日常に次々浸透してい…
京都・西陣にある「レースミュージアム・LOOP」2Fで、友人の御母堂である故・石川なごみさんのクンストレース(芸術編みの技法を自由な絵柄に編み込む作品)の額絵が展示中です。 芸術的で繊細な超絶技巧に見入りました。他にも様々なレースに室内が華やいでい…
「詩人会議」1月号に詩「鏡」を書いています。ウクライナでの戦争は日中戦争と、今を鏡として映り合う。未来は同時に過去へ向かう。そんな不安と恐怖を、詩で見つめてみました。
詩に定型のリズムはない。だが詩はつねにどこかで固有のリズムを模索している。音律だけでなく、感情による内在律や構成によるリズムもある。それらが巧みに合わさることで、作品は彼方へ鼓動を始める。 江口節『水差しの水』(編集工房ノア)は、円熟した齢(…
詩は他者はどのようにして描くのか。詩は孤独な独白であるが、それゆえ他者をつよく求める。日常の次元を超え、他者の魂と直に交わりたいという純粋な思いが詩を書かせるのだ。孤独の深まりの中で研ぎ澄まされた言葉が、他者の本質的な姿をつかむ。 上野都『…
六月に行われた沖縄戦没者記念式典で、七歳の少女が自作の詩を朗読した。美術館で「沖縄戦の図」を見た時の衝撃を素直に綴ったものだが、私は胸を打たれた。「こわいよ 悲しいよ」という幼い声が、遥かな昔ガマで死んだ子供の声のようにも聞こえたのだ。その…
「反詩」という言葉がある。かつて詩人の黒田喜夫が提示した概念で、詩に立ちはだかる、詩になりがたい悲惨な現実を意味する。黒田は詩は「反詩」と関わり、それを組み込むことで深く豊かになると主張した。今戦争を筆頭に今次々と押し寄せる「反詩」の濁流…
今、戦争の殺伐とした空気が世界を席巻している。片隅で書かれる詩にもそれは及んでくる。どんなテーマや手法で書こうと、あるいは戦争からいかに離れようとしても、危機感や不安感はどこかに翳を落とす。一方詩の読みも変化せざるを得ない。今発表される詩…
三月二十九日は詩人立原道造の命日。かつて明けないコロナ禍に絶望感を覚えだした頃、ふと再読した立原の言葉に救われた思いがしたのを覚えている。特に死の直前詩人として生き直すために、病を押して出た旅の中で記された「長崎紀行」は今も眩しい。結核と…
ウクライナといえばこの詩を思い出す。あまりにも美しく悲しい詩です。今このとき、さらに。 (無題) パウル・ツェラン(中村朝子訳) ハコヤナギよ、お前の葉が暗闇のなかを 白く見つめている。ぼくの母の髪は 決して 白く ならなかった。 タンポポよ、こんな…
若冲をテーマとする連作詩集『綵歌』が、ふらんす堂より刊行されました。刊行日は2月8日、若冲の誕生日(旧暦)です。 本書に収めたのは、2006年から5年半をかけて書き継いだ30篇と、各篇について図版付きの解説、そして理解の補助としての略年譜です。詩集と…
詩の言葉はふいにあふれだすものだ。日常の奥底で密かに熟成されてきた言葉が、やがてふさわしいテーマに行き当たる。その時、詩は解放されるように生まれる。「私」が「私たち」となるための地平が見えてきて、言葉は彼方へとあふれる。 浦歌無子『光る背骨…
新詩集『綵歌』がふらんす堂から刊行されます。 刊行日は若冲生誕の2月8日。発売日は奇しくももバレンタインデー。五年半かけて試みた詩による若冲へのオマージュです。若冲の代表連作に「動植綵絵」がありますが、そこに収められた絵が30幅であったことに私…
人の心は今どんな傷を負い、どんな希望と絶望が明滅しているのか。不可視の痛みが多くの人の心に深まっているのは確かだ。自己の痛みからそれを捉えられるだろうか。痛みもまた心の奥底で共鳴しうる響きを持つとしたら。遥かな他者の痛みを感受するために、…
最近詩で京言葉を初めて使った。東京から京都に来て長い年月が経つが、その時母語である標準語からふっと解き放たれた気がした。意味や感情に柔らかさが生まれ、風通しがよくなり、対象がぐっと近づいた。 方言には標準語にはない生命力がある。京言葉にも柔…
11月13日に紀の国わかやま文化祭「現代詩の祭典」で講演をします。 紀州・熊野をめぐって詩を書き、詩集『新鹿』と『龍神』が生まれた経験について語ります。 中上健次さんと深く関わる詩「新鹿」一篇が話の中心になると思います。 詳細は以下のサイトにあり…
詩は戦争を伝えることも出来る。詩だけに可能な伝え方を模索するならば。心の内奥で死者と出会う経験を重ねて、それは掴み取られる。幻視する非業の姿、どこからか聴こえる叫び、悲劇を伝えてと託す声。やがて無意識を突き動かされて、新たな詩が始まる。 石…
すぐれた詩は音楽に似る。だが音韻が美しいというだけでは「音楽」にはならない。心と心が響き合うという言い方でも説明出来ない。「音楽」はむしろ心が消え果てた冷たい空虚からやって来るように思う。言葉が読み手にひそむ空虚に触れ、不思議に鳴らす。そ…
視覚は現代詩において重要な感覚だ。だが見えるものを日常的に見ることからも、また見えないものを観念的に見ようとすることからも詩は生まれない。そうではなく日常や観念によって見えなくされている世界のすがたを、言葉の力で陰画のように可視化する時詩…
詩作品にはそれぞれに固有のトポスがある。一般にトポスとは、例えば故郷のように記憶や情動と深く関わる場所を指す。一方詩のトポスとは旅先から自室に至る、詩が生まれたり詩の舞台となったりする時空のことだ。その実相は、日常の遥か外部にありつつ、作…
東日本大震災からもうすぐ十年。あらためて、年月の経過が掠りもしない時間の外の出来事だったと思う。大津波は「そこ」に今も押し寄せる。蘇る破壊と叫喚に目と耳は凍りつく。あの時詩を書く意識の底にひらいた深淵は、言葉の瓦礫を浮遊させつつ決して閉ざ…
人の意識は今、途方もない不安に揺らいでいるようだ。無意識もまた立ち騒いでいるのではないか。一方詩は「天から降りてくる」とも言うように、無意識を感受して生まれる。この不安な時代から新たな詩が生まれないとも限らない。夢、幻想、トラウマなどの在…
『現代詩手帖』12月号には、一年の展望という趣旨で、論考「詩という一輪の鋼の花」を書きました。この「鋼の花」は石原吉郎の詩「花であること」からのイメージ。神品氏との対談でも出た木島の「断絶」と、石原の「断念」は、戦後もコロナ禍の今も、詩が身…
『詩と思想』1・2月号で、戦後詩誌グループ『列島』の代表的詩人木島始をめぐって、詩人・独文学者の神品芳夫氏とメール対談しています。神品氏は『木島始論』を上梓され、私は黒田喜夫論を書く際に、木島さんを「再発見」しました。この遊撃的社会派詩人の…
HP「詩と絵の対話」は、来たる12月25日20時をもって閉鎖することになりました。未見の方は期限までにぜひご覧下さい。 https://www.shikukan.com
図書新聞3470号(11月7日発行)に、宗近真一郎さんが素晴らしい書評を書いて下さいました。 宗近さんの論は、その時々のテーマについて書かれた錯綜した諸論を、今この時に現代詩に突きつけられている根本的な問題によって、鋭く刺しつらねています。政治と文…
詩は遥かな他者への投壜通信だと言った詩人がいる。至言だが、一方身近な他者も詩の重要なモチーフである。だがそれを詩に描き入れるのは決して易しくはない。小説やエッセイとの違いが問われるからだ。詩でしか見いだせない他者との関係とは何か。 東川絹子…
水田宗子さんの新エッセイ集『詩の魅力/詩の領域』(思潮社)は、詩というものの人間にとっての存在理由を、沈黙、深層意識、身体、記憶といった根源的な次元から思考の光を照らして浮かび上がらせた、今非常に重要で興味深い一冊です。 私自身、じつはこのと…
共同通信配信による書評が、長崎新聞(9月20日)、千葉日報(9月22日)、信濃毎日新聞(9月26日、写真)に掲載されました。
夢の世界を列車で旅するという設定で詩を連作したことがある。詩の自由が未知の時空を開いていく喜びを、今も思い出す。自動筆記のように虚空から次々と湧き出す不思議な駅名や光景。それはどこか悲しみを含む至福の時間だった。 浅井眞人『烏帽子山綺譚』(…