#title a:before { content: url("http://www.hatena.ne.jp/users/{shikukan}/profile.gif"); }

河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

阿弖流為と母礼の顕彰碑

清水寺に行きました(清水寺とその周辺は好きな場所で、時折訪れます)。本堂が工事中で全体が覆われていたのが少し残念でした。胎内くぐりに初めてトライしました(闇そのものには光があるのだと感じました)。


境内で、こんな碑を見つけました。阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)。昨年詩人黒田喜夫の著作を読んでいてこの名前を知りました。こんなところでその名を見かけるとは思いもかけないことでした。


二人は平安時代初期の蝦夷の軍事指導者です。8世紀末に侵攻してきた大和朝廷軍と勇猛果敢に戦い撃退したものの、坂上田村麻呂に敗れ、河内国で処刑されます。祖国みちのくから遠い侵略者の国で殺された彼らの霊を慰めるために、1994年関西圏の岩手県人の方々が顕彰碑を建てたのです。


清水寺の厚意で境内に建てた、と。同寺は坂上田村麻呂を開基とするそうです。


同じくみちのくの詩人黒田はこう書いています。


「彼らのいわば自生の大地そのものを拠点とし、その内に先進的武力と多数を擁する侵攻軍を深くひき入れて破砕する戦法は、はるかに近代・現代の反帝・民族解放戦争の普遍的な戦略に通じるほどの方向性をもって、じつは、われわれの隠された大地の時空に生起されたものであった。」


そしてかれらの「大地そのものを拠点にした全面戦」とは「すでにして近代=〈日本〉皇軍三光作戦まではつながるような侵攻戦法への闘いの様を髣髴させる」と。



大勢の観光客で賑わう境内の片隅の、そこだけひっそりと誰もいない片隅に、死者の勇気を忘れさせまいとする、そして過去を今に繋ごうとする意志は、凛と立っていたのでした。


f:id:shikukan:20170730234611j:plain

20170730232441.jpg