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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

私が選んだ鮎川信夫の詩2篇

「ふくい詩祭2018」のパンフレットに載った、私が選んだ鮎川信夫の詩2篇です。「死んだ男」や「アメリカ」も名作ですが、あまりよく知られていないこの2篇も素晴らしいと思います。「詩がきみを」は、シベリア抑留を体験した詩人石原吉郎の急逝に際して書かれたものです。「蹄鉄が馬を終わる」いう石原の逆説にならい、「きみが詩を」ではなく「詩がきみを」と表現しています。そのことで石原の死の本質を鋭く描き出し、石原の死を深く追悼しています。詩とは人間が主体となりうるような生易しいものではなく、みずからの発現のために人間を摩滅させ、使い尽くすものだー戦後をシベリア体験の重みに軋む驢馬のように生きた詩人の死の本質を見事に言い当てた詩です。「詩法」の「純粋で新鮮な嘘となれ」という逆説にも、同じ詩への思いがあるように思います。詩は人間がふりかざす真実など信じない、詩が宿るのはむしろ「純粋で新鮮な嘘」なのだと。そして第2連は、鮎川が孤独の中で反芻していた詩の倫理だったのではないでしょうか。

 

(1)「詩がきみをー石原吉郎の霊に」

 

あのとき

きみのいう断念の意味を

うかつにも

ぼくはとりちがえていた

生きるのを断念するのは

たやすいことだときみが言ったとき

ぼくはぼんやりしていた

断念とは

馬と蹄鉄の関係だ

と教えられても

レトリックがうまいなと思っただけで

蹄鉄が馬を終るとは

どういうことか

ついに深く考えずじまいであった

酒杯をかたむける

そのかたむけかたにも

罪びとのやさしさがあって

それがきみの作法だった

ぼくはうっとりと

自然にたいして有罪でない人間はいない

というきみの議論にききほれたものだ

きみにとって詩は

残された唯一の道だった

いつかみずからも

美しい風景になりたいという

ひたすらなねがいで

許されるかぎりどこまでも

追いもとめなければならない

断念の最後の対象だった

そしてきみが

詩を終ったと感じたのは

やわらかい手のひらで

光りのつぶをひろうように

北條や足利の美しい光景をすくってみせたときだろう

ぞっとするような詩を書き終えることで

断念の意味は果されたのだ

苦しんでまで詩を書こうとは思わない

きみにとって

もはや暁紅をかいまみるまでもなかった

死はやすらかな眠りであったろう

ぼくはきみに倣って

「きみが詩を」ではなく

詩がきみを

こんなにも早く終えたことを悲しむ

 

(2)「詩法」

 

生活とか歌にちぢこまってしまわぬ

純粋で新鮮な嘘となれ

多くの国人と語って同時に

言葉なき存在となれ

 

くるしい黙禱を

水漬く兵士の納骨堂に

きらめく感謝を

最も遠い天の梢へ