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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2019年1月22日しんぶん赤旗文化面「詩壇」

『村上昭夫著作集(上)ー小説・俳句・エッセイ他、北畑光男編』(コールサック社)が、没後五十年目の昨秋刊行された。

 村上は一九二七年岩手生まれ。敗戦間際十八歳で渡満し四六年帰国。翌年郵便局員となり組合機関誌に作品を発表。五〇年結核発病後は療養所で詩や俳句を創作し、六八年『動物哀歌』でH賞を受賞するも、同年四十一歳で病没した。 

  短編「赤い戦車」は鮮やかな反戦小説だ。日中戦争初期、町に数台の戦車がやって来る。教師間野は図画のために生徒達に見学させる。「これで悪い支那兵を、皆んなやっつけてやるんだ」と興奮する間野に、貧しく成績の悪い武一は「先生、支那人てそんな悪いんだべか」と無邪気に笑いまごつかせる。翌日皆が立派な戦車の絵を提出するが、武一だけは赤い戦車の絵だった。「赤いタンク画いたって可笑(おか)しくない」、「あれはな先生、支那のタンクだ」。衝撃を受けた間野は「少し足りない変った」子と決めつけ、やがて武一のことを忘れてしまう。

  敗戦後武一の戦死を知った間野は、赤い戦車は武一自身だと覚る。武一は不幸な家庭に育ち皆に馬鹿にされていた。「今に中国の人達を殺戮するという戦車に、閉じ込められていた自分の小さな苦悩を塗りつぶしたのではなかったろうか」。赤い戦車は「どうにも仕様がないものへの小さな抵抗」だった。間野は絵を燃やし涙を流し、今の教え子逹を想う。平和への思いに赤く燃える戦車の夢で小説は終わる。

 敗戦後の満洲体験を素材とする長編「浮情」も、虐げられた中国人に寄り添う。長い闘病生活は真実を見る「死の眼鏡」をもたらしたという。近刊の下巻(詩)も併せ、詩人の曇りなき眼差しに学びたい。