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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2020年5月18日京都新聞・「詩歌の本棚/新刊評」

 今ウイルスという極小の存在が、人と現実との関係を根本から動揺させている。詩を書く者もまた揺るがずにはいられない。だが詩を読んだり書いたりすると不思議と心は鎮まる。詩は言葉という極小のものと人との関係に重心を持つからだと気づく。恐れや不安より深い視座から状況を撃つ言葉を、詩に求めることは出来るのではないか。
 石井宏紀『聖堂』(思潮社)はずっしりとした詩の重心を感じさせる。ここにあるのは叙景詩でもあり、叙情詩でもある。自然に身を置き溢れた詩への衝動と、言葉と丁寧に関わる深い喜びが伝わって来る。情景は決して明るくはなく、死の気配さえ漂う。だがそれを貫く言葉と関わるひんやりとした喜びは、まぎれもなく生の側にある。それが現実を微かに凍らせ、詩という「異界」へ昇華させていく。どこか崩れそうな危うさも含みつつ。
「雪が降り始めた/雨の匂いをたしかに背負いながら/ひとに何を告知したいか/今天空に向って一直線に翔けていることを/悟らせようとしているのか//ナノの世界からひとの細胞の螺旋へまで/ひとつひとつ/わたしの在りようを問うのか/白さと冷たさだけを取り出して/鼻を捨て耳を捨てそして口を捨て//昨日の碧空の無用と/地上に施された色彩の無用とを/声のない白は叫んでいるのか//そして居たたまれなくなって/雲から手を放したのか」(「ゆき」全文)
「俳句でも短歌でもなく、ましてや小説でもない詩を描いてきて、不思議な異界に飛び込んだと、次第に思い始めていました。それは語彙や語彙との組み合わせ、それをさらに文章の世界に組み立てる。そして指先までの語彙の細やかなこだわりと、それなりの折り目正しさの生成までの道のりです」(あとがき)
 利岡正人『開かれた眠り』(ふらんす堂)の詩行は、時代の恐れや不安を映し出しながら、その底を這い進むように続く。出口や解放を求めてではない。未来は崩落し続け人は失業するために労働する。何も自分のものにはならず「身元不明の髑髏」となるだけだ―。厭世観や諦念が低めた位置から、可視化される風景のざらつき。言葉は自己と現実の間の亀裂を、無機的かつ繊細になぞる。この作者もまた労働の日々の底で言葉との詩的関係によって生き、生かされているのだ。
「我を忘れて けれど 何もかも忘れてという訳にはいかない/後に未練を残さぬよう 身も粉にして掘っていたが/聞いた話によると 頃合いの穴というのがあって/ひとり横たえるくらいの大きさが丁度よいと言う/ところが 私の掘る穴ときたら 地中ばかりか宙にも穿たれ/頭上のそれは仕事が終わっても私につきまとい/居場所を転々と おさらばして姿をくらますことのできる穴を/しばらく居座らせる 自宅のカレンダーや履歴書の上に」
「他のことに見向きもせず 補修作業に没頭しているうち/やがて日も暮れ 現場終わりの私の目の前にあるのは/並外れて大きい ぽっかり開いた穴 埋め合わせできぬほど/私が黙々と働くのは 腫れ物のような充実のためというより/寝るのに狭くない この身に合う底を求めて/夢中になれるくらい働かせてもらったおかげだろう/言葉も入り込める 大きさの穴ができたようだ」(「穴を掘る仕事」)
 淺山泰美のエッセイ集『京都 夢みるラビリンス』(コールサック社)は、作者の記憶がいまだ揺らめく京都を描く。時代の底で変わらぬ人や物の陰影―。詩の原像とでも言えるものが、この町には確かにいきづいている。