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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2021年4月19日京都新聞朝刊文化面「詩歌の本棚・新刊評」

 詩作品にはそれぞれに固有のトポスがある。一般にトポスとは、例えば故郷のように記憶や情動と深く関わる場所を指す。一方詩のトポスとは旅先から自室に至る、詩が生まれたり詩の舞台となったりする時空のことだ。その実相は、日常の遥か外部にありつつ、作者の内面深くに存在する「どこにもないどこか」といえるだろう。あるいは詩人はトポスの予感に促されるようにして、詩を書くのかも知れない。
 塩嵜緑『庭園考』(書肆山田)は庭というトポスについて詩的思考をめぐらせる。柔らかな感受性と土にそっと踏み入るような丁寧な詩行の運びで、庭の生き物たちのいのちと時にユーモラスに交感する。懐かしい死者の気配にみちる庭=詩のトポスでは、幼年期の五感と古代の原初の感覚が重なり合い、詩が始まる。詩を書くトポスとはどこであれ、たとえ一片の白紙であれ、不思議な聖地なのだとあらためて思う。
「土を均し/煉瓦を並べ/花壇を拵え//実のなる木/風と話す木を植え//円卓に布をかけ/紅茶を飲み/晴天の向こうがわを眺める//柑橘を蝶は好み/トネリコを蝉は愛し/座りの良い枝ぶりに/鳥は巣をかけ//私のいない時間に/草木は伸び//花木は/老いながら蕾をふくらませ/鳥は卵をあたためている//庭はだれのもの」(「庭はだれのもの」全文)
「私が/黄楊のふぞろいなのを/揃えようとして/鋏を入れたのだ//その時の/おまえの驚き様といったら//まず/何事! と/事の次第をわかろうとして/首をあげた/いや その前に/手足を二度三度ばたつかせた/そして/首をのばして/目をぱちくりさせた//それが/私と目があってしまって/一秒 ほんの一瞬のことだったけれど/お互いの瞳を射た瞬間に/庭の時間は止まり/お互いの顔を覚えてしまった//目の大きな/小さな顔の男だった/まなじりが少し皺寄っていた」(「蜥蜴」全文)
  森哲弥『少年百科箱日記』(土曜美術社出版販売)は、H氏賞受賞詩人の九冊目の詩集。「第一の箱」から「第四の箱」までの四部立てとなっている。「箱」は巻頭作「百科箱日記」と関連する。同作では本棚の百科事典が少しずつおのずと膨らみ、ついに家中に様々なラベルのついた箱が溢れる。本詩集の各「箱」には、ライトヴァースから社会、人生、戦争を扱ったものまで、ラベルと陰に陽に関連する様々なテーマの詩が収められる。「百科箱」というどこか懐かしい響きは、昆虫採集や標本箱を思わせるが、作者の詩が生まれるトポスは、作者の中に今もひそむ少年期の時空であるのだろう。日常生活で詩のためのメモを箱に「採集」しているのかも知れない。そのせいか、本詩集には分かりやすく心温まる作品が多い。
「その前夜/星座盤の上に/時ならぬ冬の蝶が舞い降りて/オリオンの彼方に/二連星が輝いたのは本当かもしれない//かれは保育室で新聞紙をひろげ/折紙の牧童帽の作り方を教えていた/その時//テンガロンハットかぶった黒い瞳の/ウエスタンガール 風のように/駆けよってきて かれの耳元で/「だいすき」/耳たぶに柔らかいものが一瞬触れて/かれの肺胞は大粒葡萄のようにふくらんだ/ありふれた言葉なのに/じかに届けられることが/いかに稀であったか だ・い・す・き/片隅にサンタの切り絵が忘れられている/一月の保育室 ふたりの年の差六〇歳//二連星は真昼の天空で輝いている」(「だ・い・す・き」全文)