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河津聖恵のブログ 「詩空間」

この世界が輝きわたる詩のプリズムを探しつづける。

2022年11月7日京都新聞朝刊文化面・詩歌の本棚/新刊評

 詩に定型のリズムはない。だが詩はつねにどこかで固有のリズムを模索している。音律だけでなく、感情による内在律や構成によるリズムもある。それらが巧みに合わさることで、作品は彼方へ鼓動を始める。
 江口節『水差しの水』(編集工房ノア)は、円熟した齢(よわい)に達した作者が、悲しみ
と喜びが織りなす人生の海から聴き届けてきた、さざなみのように静かなリズムがみちる。作者は大切な人々を失った喪失感のうねりを、詩によって忍耐づよく調律することで乗り越えて来たと分かる。日々卓上の器を描き続けた画家モランディをモチーフとする表題作から、作者自身の詩への向きあい方を窺い知ることができる。
「展示室の/壁の裏側に回ると そこも/器の絵だった/どの部屋にも 水差し 壺 花瓶 缶 ボウル/並べ方が変わり/光と影が変わり/一日であって一年であって一生のようでもあった/何も変わらないが/何かが変わるには十分な時間/うっすら 埃が積もり/新しい器が加わり/使い慣れたものが消え」
「器は そこにある/テーブルの縁はすぐ向こう/壁にくっきりと水平線を引きながら/奥行きもなく 空であり地であり海であり/器のすきまに器のまぼろし/生きる抽象に時間が流れこみ/見えぬものを描きこむことに精魂をこめて/画家は/光と影の永遠を筆先に集めた」
 そして被災者や市井の弱者が日常を生きる姿に内在する淡いリズム。
「そう/家では話さない/中の息子が遠い岸辺に渡った後/父親はだまって/六寸仏を彫り続けた/十四体が並んで/肩のこわばりに彫刻刀を置いた//母親はだまって/詩を書き続けた//家では話さない//ショーケースの向こうで/その人も言った/海の品をていねいに並べていた//打ち寄せる波に/ひかりが/ばらばらとこぼれている」(「岸辺」)
 苗村吉昭『神さまのノート』(土曜美術出版販売)の作者は二十代を過ぎた頃、仏詩人プレヴェールを熱心に読んだ。「五十歳代となり、私もときどきプレヴェールの眼を借りて世間の人々を見ているように」感じ始めた。「プレヴェールの眼」は、「さらに大きな眼へと繋がる道を示してくれ、本書が生まれました。」(あと
がき) 「枯葉」などのシャンソンの作詞者で知られるプレヴェールは、市井の人生の真実を平易な言葉で詩にうたった。作者はまさにプレヴェール的とも言うべきリズムとウィットで、大人の日常の真相を幼年期の感性から照らし出す。第二部の、記号をモチーフとする連作集が興味深い。文字よりも根源的な三角やバツ
といった記号をめぐる思考が、ひらがなに導かれ不思議なリズムで展開する。
「つうきんとじょうでイヌにかまれて/ちいさなイヌにがぶりとかまれて/ちいさなはがたががぶりとついて/わたしはひざからちをながし/あさのびょういんにかけこんだ/あさのびょういんはうすぐらくて/まちあいしつにはだあれもいなくて/いつみてくれるかわからぬままで/わたしはまちあいしつでまっていた
/いつまでもいつまでも/くらぁいまちあいしつでまっていた/やがてこくりこっくりと/わたしはまどろみむねりにおちて/イヌのゆめをみていたようだ/そうしてようやくめざめたときに/がぶりとだれかのひざをかんだ。」(「( )……歯型だぁ。」)
 有馬敲さんが亡くなった。私が京都に来て初めて出会った詩人である。時代のリズムで時代にあらがう数々の名作を残した。心からご冥福をお祈りしたい。